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ビールの友005
突然声は人生を変える
1996.08.27

 突然シリーズ第二弾である。

 今回は突然声を出す人の話。

 頭の中で考えていることが、ひょんなことから声になっちゃうということはよくある。僕の場合、一人でいるときにこの症状が出ることがある。ま、独り言ですね。特にビールを飲みつつテレビなんか見ているときに、テレビに向かって「違うよ」とか言ったりしている。

 うちの中だからいいようなものの、外でこれが出ちゃったりするとすごく恥ずかしい。

 でも、こういう人はわりとポピュラーにいるみたいだ。特に歌を口ずさむ人はわりと多い。向こうから一人で歩いてきた小学生が、突然「愛しのエリー」のサビを歌いだしたときには、さすがにちょっとビックリしたけど。

 歌でなくても、突然結婚式のスピーチの一部らしいことをつぶやいちゃったりする人とか、読んでいる文庫本に向かって「ふん、そんなバカな」とか言ったりする人がいる。

 思わず考えをクチにしちゃった人というのは、たいていの場合そのあと決まり悪げに黙るか、ゴニョゴニョと口の中でなにか言い訳を言ったりしてごまかす。

 それはそれでいいんですけど、問題なのは、クチに出ちゃう言葉というのが、その時その人がもっとも気にしているというか、非常にふか〜くふか〜く考えていることが「口をつく」という点にある。たいていの場合、断片的な言葉なのでなんのことかわからないし、「ふん、恥ずかしい奴!」で済んでしまう。しかし、中には笑い事ではすまない影響を回りに与えるケースもあるのだ。

 突然声の人で、今でも強烈に印象に残っている人が二人いる。

 どちらも僕がまだサラリーマンをしていた頃のことだ。

 朝、いつものように出勤のために公園を抜けようと歩いていると、前方に50なかばという感じのサラリーマンが歩いていた。冬のことで、着ているコートはなかなか上物である。後ろ姿から察するに、品の良さそうな紳士である。

 公園の抜け口に、ちょっとした階段があり、ここにさしかかったとき、この紳士に追いついた。その瞬間である。
「ど〜こ〜かぁ、と〜おぉくぅにぃ、い〜きぃたぁあ〜い」

 ひえ〜! 朝っぱらからそんな低い声でそんな歌を歌うのは止めてくれ〜!

 僕の足は自然と速くなった。僕ばかりではない。回りを歩いていた全員の足が速くなったと、思う。みんな思いは同じ。早くこの声の聞こえないところにい〜きぃた〜あーい〜という感じである。

 突然声の人々というのは、フツー自分がはからずも声を出してしまったということに気づいた瞬間から、何とか修復(ごまかしともいう)に向かうものだ。しかし、この紳士は違った。僕の背中から、さらに朗々とした歌声が追いかけてきたのである。ラジオ体操第一を歌えとは言わないが、同じ朗々と歌うんでも、もっと朝にふさわしい歌があるんじゃないだろうか?

 身なりも立派な紳士だというのに、なぜ朝っぱらからそんなに落ち込んでいなくちゃいけないんだ? そんなにつらいんですか? と聞いてみたかった。

 もう一人はもっと壮絶である。こちらもサラリーマンである。

 僕は勤め人当時、朝飯を食って出勤し、職場に着いた頃に便意がやってくるので、いつも朝のウンは職場のトイレでやっていた。

 結構大きなビルで、僕の勤め先のあった7階には4つか5つくらいの会社が入っていた。犯人(?)はおそらくこのフロアに勤めている人間である。

 朝、僕がいつものように大の方に入ったと思ってもらいたい。個室は3つ並んでおり、僕の定位置(なぜか毎朝入る個室は決まっている)は一番手前だった。この個室は和式の便器だ。入り口から見ると便器は横向きについており、しゃがみ込むと隣の個室とのしきりに向かってコトをすることになる。

 用が済み、そろそろ出ようかというとき、問題の人物は隣の個室に入ってきた。気配で隣も始めたなと意識の隅で思いながら、トイレットペーパーに手を伸ばした。そのとたんである。トイレ中に響く大声が隣の個室から上がったのは。

「しょうがないんだよ! 誰かがやらなきゃしょうがないんだ!」

 思わずトイレットペーパーに伸ばした手が止まってしまった。前述のように僕は隣の個室に向かってしゃがんでいる。目の前のしきりの向こうから大声が来るから、まるで僕に向かっていわれているような具合なのだ。

 一度口に出したせいで堰が切れたのか、さらに追い打ちをかけるように声があがる。

「いやなことだけど、誰かがやらなきゃしょうがないんだ! しょうがないんだよ!」自分に言い聞かせるような調子ではあるが、かなり激しい口調の大声である。

 発言の内容からして、なにかいやな役目を仰せつかったらしいが、隣でことをいたしている人のことも考えてもらいたい。恐いじゃないか! バカヤロー!

 続きが聞きたい半分、ここで出ていって、後ろから続いて出てこられたらその時の雰囲気が恐いな半分で、僕は隣の人物がトイレを出て行くまで個室から出られなかった。

 結局それ以上の発言はなかったし、同じフロアのどこかの人だろうということ以外、この人のことは皆目分からない。わからなくてよかったと今でも思う。わかっちゃったらお互いツライぞ〜、これは。

 突然アクションはどことなく滑稽だが、突然声は人生があるのであった。
 もしかしたら僕がリーマンを辞めたのは、この二人のせいかもしれない。


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