御用商人的物書きドモっ! 冤罪説にどう対処するっ!

御用商人的物書きドモっ! 冤罪説にどう応えるっ!

 文藝春秋4月特別号に『少年A検事調書の衝撃』と題する特集が掲載されていた. 内容は,検事調書を教科書のように鵜呑みにした上で十四歳の少年が犯した犯罪だと 断定した前提で作家ら九人が幻の空論を展開する.                 内容に誰一人として疑問を持つ者はいない.それでも一人,久田恵という作家が, 当初,冤罪の可能性はないのかと,週刊文春に電話したそうだが,どこかで,疑いは 完璧に消えた? 疑いが消せる根拠はどこにある?                 もし冤罪の疑惑を感じながら,A少年の犯行だと断定できる情報があれば,是非, 知りたいところである.俺様とて,いたずらに冤罪だなどと騒ぎたくはない.然し, 残念ながら,彼の犯行だと断定できる根拠がない.                 むしろA少年逮捕の瞬間から,どうしてこの程度の情報で犯人だと断定出来るのか 不思議でならなかったし,その疑惑は次第に増幅するばかりで,一向に減少しない. 何故,検事調書は,歴史の教科書になるのだろう.                 書かれている記述に疑いを持つことは許されず,あくまでも事実だとした前提で, 読み進んで感想を述べる.これを検事の書いたでっちあげの作文だとした前提などは 間違っても取り上げられることはない制約がある.                 多分,マスコミを通して,職業として神戸小学生首斬り事件に意見をいう場合に, 厳然として,そのような前提があるのだろう.冤罪説を唱えることは,天皇に対する 侮辱にも等しい戦前の常識がマスコミに存在する.                 テレビ・ラジオの番組においても,この事件に関する限り,間違っても冤罪だと, コメントされることがない.見事なまでの統制を見せられる.これまでに伝えられた 情報だけで,全ての人間が納得してしまったのか?                 一度,A少年が犯人だと思い込めば,後は,全ての情報は,彼の残虐性を裏づける 内容に感じられてしまうのかも知れぬ.文藝春秋には,その他に,九人の読者からの 意見を載せているが,そんな雰囲気も感じられる.                 ここに登場した作家ら九人は,一度として『冤罪説』に接したことはないのか?  神戸の現場周辺の全ての家庭に配られたと週刊誌が報じた冤罪冊子に,彼らは,何の 関心もなかったのか? 教科書に逆らえないのか?                 然し,コヤツらは,皆,事件の真相を知りたいなどと口先だけは一人前だ.然し, お仕着せ情報以外のものに見向きもしないのだろう.逸脱した回答は,文藝春秋から 厳しく譴責を受ける.二度と書かせては貰えない?                 職業としての物書きなんて,所詮,その時々の流行と大勢を占めるマスコミ論調に 合わせた提灯持ち的見解を書き,常に時流の波に乗っていれば安泰のご様子である. プロ九人が全て,検事調書を教科書にしたとは….                 例えば,かの検事調書を読んで,何一つ疑問も感じない鈍感な感覚で,冤罪冊子を 読んだとしたら,彼らは,そこからどんな反論を展開するつもりなのか? こいつら 全員に,是非,冤罪説を打ち砕く高説を賜りたい.                 秘蔵されている無数の検事調書というものが,全てこの程度の内容であるならば, そしてこれで有罪が決まってしまうものであるならば,もはや司法そのものが完璧に 信用を失墜する危機を感じる.これは本物なのか?                 もっとも,重大な機密漏洩の筈の調書に対して,捜査関係者が,ご丁寧にA少年が 書いたとされる文書の四隅にあるのは,少年の血判であるとの解説を加える念入りな フォローをしている辺りは,何とも不可解である.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る