体に存在する記憶能力を検証する
タイピングの練習に際しては,絶対的に,キーの位置を頭の記憶に残さないことが 必要である.これは,習ったことのない人にとっては,信じ難いことで頭に記憶せず どうして覚えることが出来るのかと迷う. はっきり言って,それほど良くもない頭である.使わずに済めばこんな楽なことは ない筈なのだ.然し,頭で覚えないと不安になる悪い習性から抜け出せない….誠に 哀れである.だが,運動や反射能力は頭では意識できない. 車にぶつかりそうになれば,反射作用が頭を通さずに体を動かす.頭の指令では, 絶対的に間に合わぬのだ.タイピングもこれと全く同じである.いちいち頭の指令を 待っていては,快適な入力は出来ない. 書こうとする文字を思うだけで指が勝手に動いてくれる….ブラインド・タッチの 最大のメリットはこれである.この技術の習得方法は,頭が覚える代わりに指自体に それを記憶させることである. 頭のいい人間は,俗に『体が覚える』と言う言葉に抵抗感がある.体に記憶能力が あることを信じようとしないからだ.そのクセ,例えば,意識の下にあるとされる, 潜在意識の存在を簡単に信じてしまう. よく考えてみるがいい.本当に頭の中に潜在意識なんてものがあると思えるか? 例えば,夢を見るのは,潜在意識のなせる業だとされる.然し,夢を見ているのは, 潜在意識ではなく顕在意識である. 今,こうして起きて活動している人間の意識が,その夢を記憶しているのである. 潜在意識が作り出したものを顕在意識が見ている? 然し,我々に,潜在意識自体を 捉えることは出来ない. 俺様に言わせると,潜在意識とは,肉体の中にある意識なのである.潜在意識が, 全身を巡って,あらゆることを記憶せんとしている.ほんの少し歩き出せば,道路の 傾斜を察知するし,一定に続く階段の高さも記憶する. 以前,テレビで,何処かの階段で,多くの人が,決まってつまづく場所があると, 報じていた.観察すると,その部分は他よりも段差が僅かながら高く作られていた. つまり,足は,その階段の高さを正確に記憶して足を運ぶ…. 昇り始めに,その階段の一歩の高さを計算して,必要最小限度の高さに足を上げて 歩かせる知恵が足の記憶にはある.その記憶と違った段差が,突然現れると,簡単に つまづいてしまう…. 同じように,人間の手では,使っている包丁の切れ味まで,正確に記憶している. もし,自分の知らぬ間に研がれた包丁を使うと,それまで切れない包丁を使っていた 力の配分で扱って,下手をすると手を切ってしまう. 体で覚えるとは,かくして確かに存在することが確認された,極めて優れた肉体の 記憶能力を積極的に活用することなのである.回転の悪い頭などで覚えるべき性質の ものではないのだ. 階段の高さも,包丁の切れ味も,決して頭が覚えている訳ではない.いかに多くの 部分で,人間は体の記憶に頼って行動しているかが分かるだろう.もはや,つまらぬ 頭に頼った生活からスッパリ足を洗うことだ….** 悪魔 ** 冒頭に戻る