バイク・カタログ

ホンダ 
スーパーカブ


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名車中の名車スーパーカブです。

店長の年代の人間に最初に乗ったバイクは?と訊ねると「スーパーカブ」と答える人が圧倒的に多いのです。それは、これまでさんざん雑誌などがアンケートをやるたびに出る答えなのですがそれはもう仕様がない事実なのです。
なにせ、店長の子供の頃には今のように原チャリといわれるスクーター(ソフトバイク)など無かったのですから。
とはいうものの店長が生まれて初めて乗ったバイクは“スーパーカブ”ではなくて、ヤマハの「ヤマハ・モペット」でしたけど。

ヨーロッパにモペットというジャンルがあって、いまでもオシャレなヨーロッパ製のソフトバイクが輸入されて若者の間で人気です。自転車とバイクの中間のようなものが多く都会にマッチするデザインですが、昔のものはもっと野暮ったかったでしょう(今見れば)。

1956年(昭和31年)日本の調査団がヨーロッパのモペット事情を視察し、その後2年を経て1958年に日本でも続々とモペットが登場するわけです。
タスモペット(2st、50t、2.0HP、)、スズキモペットSM1(2st、50t、2.0HP45,000円)、ホンダ・スーパーカブ(4st、49t、4.5HP55,000円)、東昌エコー(2st、49.8t、2.5HP48,000円)、山口オートペット(2st、50t、2.8HP48,500円)、少し遅れて’60年にはセルがついたヤマハ・モペットMF1(2st、50t、3.5HP、55,000円)、トーハツ・ランペットCA(2st、49t、4.5HP、58,000円)、4段変速のスズキ・セルペット(2st、50t、4.0HP、58,000円)などが発売された。
上記の簡単スペックでも判るでしょうがスーパーカブがダントツで売れてしまうわけですね。
なにしろ4サイクルで4.5馬力ですから。
トーハツ・ランペットは50t初の本格的スポーツ・バイクですから2サイクルでも4.5馬力出していますが、低速は乗りにくかったでしょう。カブ以外はクラッチ付で低回転のトルクが厳しい2サイクルではヤマハ・モペットの3.5馬力がいいところだったのでしょう、実際クラッチ付なのに初めてでも乗れました。

ともかく性能の良さと、遠心クラッチ付でクラッチレバーがなく、スイッチ類もハンドル右側に集中させて、おそば屋さんが左手で岡持ちをもっても運転できる(片手運転OK!)というアイデアなど、乗り易さも有って大ヒットになったのでしょう。

中学生の頃、家にはバイクがないので、家にバイクのある友達にせっついてチャンスがあれば乗せて貰いました。やはりスーパーカブが一番たくさん乗ることが出来ましたが、一番最初に乗ったのはスーパーカブでは有りませんでした。
同級生に米屋の倅がおりまして、お父さんはダイハツ・ミゼットという3輪の軽自動車に乗っていましたが、お母さん用にヤマハ・モペットを買ったのでした。ちょうどお母さんが路地で練習をしているところに行き合わせて、その友人と共に試乗させて貰ったのでした。

スーパーカブはやはり一番多く乗る機会を得ましたが、その他で乗った覚えがあるのは、スタイルがとってもバイクらしく人気のあった山口オートペット、スズキは“コレダ”という上のクラスのバイクと同じカマボコ型のヘッドライトがついたスズキセルペット、セルペットが出るまでのスズキモペットは自転車のペダルとチェンが着いていて反対側に駆動用のベルトが着いているというもので、ヨーロッパのモペットに近い形でしょうか。最初自転車のようにペダルでこいで勢いがついたらレバーを切り替えてエンジンの力で走るものでした。店長は一度乗ったことがあるのですが、なにせ中学生の頃ですし知識があって乗ったのではないのでよく覚えていません。変速機は無かったように思うのですが知らないでのっていたのかも。クラッチは着いていてブレーキをかける時は使うのですが、始動のペダルを踏むときにクラッチを握っていたのか覚えてません。自転車にエンジンを後付でつけたものとゴッチャになっているかも。自転車の後付エンジン付というのは自転車の荷台にの下に装着して後輪のリムにレバーでゴム車輪を押し付ける方式のものです。ホンダの最初のヒット作「ホンダカブF型」などの自転車型バイクはVベルトなどの駆動が多く車輪よりは小さいけれどケッコウでかいプーリーのような輪が着いているのでした(この手のモノには乗ったことありません)。そしてこの頃ラビット・スーパーフローシルバーピジョンというスクーターも田舎の砂利道で乗ったりしてました。

スーパーカブのデザインはオートバイらしくもないしスクーターでもないしモペットとも違い自転車でもない、まったく新しいものでした。
日本的な使い方を考えた構成。新素材プラスチックの活用。レッグシールドという下半身用の風防は寒風だけでなく汚れからも乗り手を守った。新設鈴鹿製作所の単一工場としては世界最大という量産能力。11年前のカブ号発売以来、力を入れてきた販売ネットワークの充実も大きな要素だったでしょう。バイク屋さんだけではなく全国の自転車屋さんでも販売されていました。パンクの修理も自転車屋さんでOK!。

アメリカでは“You Meet the nicest people on a Honda”という歴史的大規模キャンペーンを行い、バイクを新しいおしゃれな乗り物として社会的にアッピール。1962年、63年頃から対米輸出が急増した。
スーパーカブは毎日産業デザイン賞、フランスのモード賞を受賞した。アメリカでは若者達のアイドル商品となった。ケネディ大統領は「ホンダがアメリカの青少年に新しいライフスタイルを与えた」と池田首相に語った。

各社がイロイロなスタイルでスーパーカブに挑戦したがおよばなっかったのは事実ですが、ヤマハのメイトもスズキのバーディーもいつの頃からかスーパーカブとまったく同じデザインになってしまったのは仕方のないことでしょう。
なにしろ、友人の親父がヤマハメイトを「家のカブが」「家のカブが」というので「おじさんとこのはヤマハメイトだよ」というと「ヤマハカブだ」と言い放ちました。バイク屋で「カブを買う」と言ったらこれが来たとのことでした。

もうこのスタイルはカブというジャンルなのですね。

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カタログを見比べると、最初の頃のスーパーカブはリッターあたり90qだった燃費ですが、105qになり、150qになり、180qになるのが判ります。
凄まじい改良ですね。昔、リッター90qのスーパーカブを軽量化したような「ポートカブ」というのがリッター100qを実現して皆ビックリしましたが、L=180qはすごいです。



オマケです。

アメリカでも大ヒットですが
ビーチ・ボーイズのヒット曲「リトル・ホンダ」は“カブ号”ではなく、後のラッタッタの“ロード・パル”に近いスタイルでペダル付きのモペットでした。

それにしてもカッコイイですね。
そして、写真の場所はアメリカではないようですね。ブリック・ロード(レンガの道)はアメリカにも有りますが、お店の様子がどうも違うように思えるのですが。


「件名」は具体的に

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