店内立ち話...Myパソコン起動ならず |
1)パソコンがメゲてしまった…その始末記の始まり | |||
2000年10月20日から私のパソコンが不調となり「毎日更新」などといっておきながら12月10日まで更新出来なかった顛末を書いておきたいと思います。ただ、いまのところそれが皆様のトラブル脱出の参考にはならないのが残念です。(でも、まもなくなるかもしれませんし、結局ならないかも知れません) ただ、他人の不幸はなかなか興味深く読めて、また面白かったりするものですからそんな感じで読んでいただけたらと思います。 毎日毎日いろいろトライしてみんな駄目になるものですから、生活のことから体調まで調子わるくなってしまった報告です。 10.20いつものようにアップルの店から帰宅してMyパソコンのスイッチをいれました (店の閉店が午前0時それから後片付けをして家にかえりますので実際は午前1時過ぎ)。するとWindowsの絵が出て、デスクトップにショートカット・アイコンをつくり、そしてタスクトレイを作るところでストップしてしまいました。さぁ大変! ということで、強制終了、再起動…同じところでストップ。 また、再起動。今度はパスワードをキャンセルしてみる。同じところでストップ。 こんどは、セフティ・モードで起動。キーボードのタイプを入力すると、そこでいきなり再起動がかかる。数回同じ事をやる。(だんだんパニックになってきた) こんどは、起動ディスクから起動。CドライブのスキャンOK。クラスタ・スキャンOK。そして再起動…同じところでストップ。さぁ大変!(完全にパニック) このとき午前5時をまわっていたためパニック状態のまま寝床に入る。 ※ここでMyコンピュータのことを紹介しますと、これはいわゆる自作機というパソコンでASUSのP2Bというマザーボードに、いまではceleronにも負けてしまうPentiumU366MHz(366MHzというとceleronではないかと思うのですが[システム情報]を見るととPentiumUProcessorと表示されているのです)という、1年半ほど前PentiumVが出始めのころには、安い自作機のごく普通の組み合わせ(だと思う)に128MBのメモリー、10GBのハードディスクをおごったWindows98の安価でも仕事に使えるPCです。PC関係の会社を経営しているイトコが組んでくれました。 (この後はすべて自分でやるようになりましたが、まだこの時は説明を受けていても、まだいまいち実感のわかない、機械もWindowsもまったくの初心者でした。いまでも初心者の範ちゅうに居りますが。 ところが、PCに関しては10年程前から店にはレンタル業務のソフトが入ったOkiのパソコン(AT互換・Windows3.1)がありましたし、自宅にも8年ほど前から青色会計用のPC(ワープロに毛が生えてしまったようなもの)などが在ったのですが、両PCともインターネットが出来るわけでなく、まったくわけのわからんド素人。なのにどんどん説明されて、なんだか解ったようでもあり解からないようでもあるうちに1号機が出来てしまい、我が家に持ち帰ってインターネットを始めたのでした。) そして後に、外付けのハードディスクドライブ(13GB)をSCSI接続で増設しました。不幸中の幸いなことにホームページ用の画像などの各データ、サイトのコピー(バックアップ)などが、この外付けHDDに入っているのでした。 10月21日、眠ったせいか少し落ち着いて目を覚ます。ホームページ関係のファイルやデータは外付けHDDに在るのを思い出して少し気が楽になる。書籍や雑誌を調べるが、結局Windowsをインストールし直す他に方法は無い様に思える。それが延々と続くダーティ・ロードへの入り口だとは、このとき知る由もなかった。トホホホ... 帰宅後、Windows98の「上書きインストール」を実行する。 結果は、まったく同じところで、同じ状態に。再起動の後、ハードウエアの設定で先に行かない。何かするとエラーメッセージ...。 まぁこれではしょうがないと腹をくくってハードディスクを初期化することに。FDISKでパーティションを切り直してFORMAT。このきれいな状態のハードディスクにWindows98をインストールすれば、いままでいろいろ遊んできた残りのゴミのようなファイルやデータも整理出来て、新たな気持ちで出直せばまぁいいや。などと思ったのは大変あまい考えでした。 と申しますのは、Windows98のインストールにとりかかりますと、その途中で「前のバージョンのCDを入れてください」というメッセージが。ガーン、この98はアップグレード・バージョンだったのだ(箱見りゃわかる...)。 自宅にWin95のCDなんか有りませんので、早速イトコに電話すると「いいよ、CD届けてあげるよ、でもいま四日市にいるんだよ、だから来週ネ」とのありがたいお言葉...。 それならば、心機一転なのだから。この際買ってしまおう「製品版のWindous98SE」。というわけで近所のPC専門店「PC DEPOT」に出かけました。 間が悪いときには間が悪いものでこのお店に在庫のWin98は3本だけでその全てが「アカデミック・パック」。そして棚のほとんどをしめるのはWindows Meだったのです。 さんざん考えて、一度店の外へ出てみたり、帰りかけたりして悩んだものの、結局解決に向かって進むにはWin Meを買うしかないのか。 というわけで製品版とカミさんのThinkPad(Win98SE)用のアップグレード判を買って帰りました。 もちろんThinkPadのインストールはなんの問題もなくあっさり完了。そしてMy PCは...もちろんすんなりいくわけはなく...マイクロソフトのMe・インストール専用サポートに何度も電話してしまう顛末はまた来週に... これまで、いろいろ試してみると出現した主なエラー・メッセージ
其のほかにもわけの解らないメッセージがでましたが、エラーメッセージを解説した書物は私の近所では見つかりませんでした。 (つづく...) |
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というわけで、前回のつづきです。 いろいろ素人なりにトライを重ねてもダメのままの状態。 10月26日とうとう午前11時半マイクロソフトのMeインストール専用サポートに電話することにしました。症状と出現したエラーメッセージをひととおり説明をすると、サポートの女性曰く「スカジーカードを外して下さい」、とのこと。 なるほど、怪しいものを外してからインストールをするのか。これはオジサン一本マイッタ。 というわけで昼食をすませると、スカジーカードを取り外し、電源をONに...。画面に何も出ない。 HDDの回転音は聞こえるが...、スイッチのON・OFFをむなしく繰り返す。 以前、ノーブランドのメモリを秋葉原で買ってきてスロットに挿したら画面に何も出なくなってしまったのと同じようだ。そのときは買った店に交換してもらいに行くと、其の店のPCで試してくれて、そしたらちゃんと128MB認識されて、そのままそのメモリを渡されて帰ってきた。家に帰り挿すスロットを変えたりして再度再度試すも、やはりだめで今でも机の引出しに保存されている。(今ならお店によっては相性保証なんてものがありますが) というわけで10分ほど試すがダメなので、またMSサポートに電話する。別の女性が出たので、じつはこれこれ..と話し出すと突然、画面にDOSの文字が流れ出したので、うろたえながら電話を切る。 見ていると、勝手になにかやっているようだったが、いきなりセーフ・モードで立ち上がりかけて..ブルー画面。
?????... というわけで再びMSサポートに電話しました。 これまで言い忘れていましたが最初に電話した時に「問い合わせ番号」なるものを頂きまして、同じ相談ならば其の都度説明しなくても良いことになっているのでした。お医者さんのカルテの様で良いことだと思いました。こんど電話に出てくれたのは男性ですが、現在の状況を話すとマザーボードの型番を聞かれ、BIOSの設定などをチェックしてくれてから「SCSIカードを外したのならWin MeのSetupを試してみたら」との希望のわくお言葉。「そしてダメだったらWin98で動いていたのなら一度Win98をインストールして、マザーボードのBIOSをアップデートして、それからWin Meをインストールしてください。」と言ってくれました。 プロの言うことだからと勇気百倍勇んでドライブCをフォーマット。Windows MeのSetupに取り掛かる。 そして「インストール」が一通り終わり、「再起動」の後、「ドライバー・データベースの初期化」が終わり、やはり「ハードウェアとプラグ&プレイ機器の設定」で止まってしまいました。 CDを取り出し、再びドライブCのフォーマット。 この間に製品版のWin 98を手に入れてあったのでWindows98のSetupに取り掛かる。 「これでダメならFDISKだー」っと覚悟をきめて始めたものの、やっぱり「ドライバーの初期化」で止まる。 結局「FDISK」でハードディスク全体をを初期化することになりました。これまでパーティションで3っつに分けて使っていましたが、なんとかCドライブだけの初期化ですまそうと思っていたのは甘かったのでした。 10月30日夜。とうとう「FDISK」を実行。というわけで芸風社1号機内のデータは全て無くなりました。バックアップを取っていない日記のデータなどはくれぐれも惜しい。バックアップは大事ですね。 ここまでくれば、サバサバ。というわけで Win98のSetupを実行。 でも、やっぱり、同じところでSTOP。アレレレ。失意のまま床に入る。 10月31日、念のため Win MeのSetup実行。でも、やっぱり、同じところでSTOP。テテテッ。 というわけでMSサポートに電話しました。 すると、曰く「もともと、Win 95がインストールされていたのではマザーボードのBIOSがWin95の頃のものなのかも知れません。まずWin95をインストールして、それからWin98にアップグレードして、そしてWin98でBIOSのアップデートをしたら良いのでは」と論理的なお言葉。 「はい、やってみます」とはいったものの、内心 Win95のSetupもダメだろうなと消極的な思いが...。 夜、帰宅して早速「FDISK」。Win95のSetup。思いが通じて案の定、やっぱり、ダメ。同じところでSTOPしてくれました。 Meでも98でも95でも同じところでSTOPというのは、ハードが悪いに違いない。Windowsも最後のSetup直前までインストール出来るのだから怪しいのはマザーボードではないか。そして古いWindowsもインストール出来ないのだから、BIOSの古さとばかりはいいきれないのでは。 BIOSのアップデートなんてやったことないからわからない。というわけで様子を聞きに秋葉原や近間のPC専門店で話してみると、OSのSetupで止まるのはマザーボードだけでなくCPUもメモリもHDDもそれぞれ可能性があるとのことでした。とりあえずBIOSのアップデートに関する本を買って帰る。 そうこうしているうちに、11月になってしまいました。 (つづく...) |
2)決算がきて芸風社PC2号機の製作を決心 |
というわけで11月に入りますとアップルは青色申告のお店ですから、毎年12月末が決算日なのですが、その前に青色申告会では10月までの帳簿を見て誤りや不備を教えてくれる「中間決算」というものを行います。 これはアップルとしては大事な行事ですからその準備もしなければなりません。さあ忙しくなってきた。 ということになりましたが、ところで、実はアップルにはもう一台パソコンがあります。それはSOTEC・M250APというセレロン500MHzの廉価機ですが機能的にはDVDドライブと15GBのハードディスク、128MBのメモリーでグラフィックは810チップセットまかせなので3Dゲーム(MSフライト・シュミレータなど)はいまいちですが、実用には十分というPCです。 これは芸風社1号機でパソコンをいじるようになって、最初のうちは物珍しさからインターネットでいろんなものをダウンロードしたり、消したり、雑誌の付録のCDからフリーソフトを入れたり消したり、するうちに、だんだんとWindowsの調子が悪くなり、幾度かWindowsの再インストールをしました。普通は上書きインストールで大丈夫でしたが、一度などは上書きでは調子が戻らずCドライブをフォーマットしてWindowsを入れなおしたこともありました。 2000年2月頃に青色申告会で「弥生会計」というパソコン帳簿の説明会がありました。いままで使用していた会計専用機のリースアップの時期がせまっていましたので、これからはソフトを買って自前のPCで帳簿をつけようとは思いましたが、パソコンがそのような調子ではこころもとないと一台追加することにしました。 それで1台は、帳簿やワープロ、エクセルといった実務用に、そしてもう1台は私と家内の共用でインターネットや雑誌の付録やWindowsの練習や画像の管理加工の練習用に使用して、調子悪くなったらWindowsを入れ直せばいいや、という訳です。 3月16日にSOTECのホームページから直販購入の申し込みをしました。この時、通常ならHDDが10GBのところ、ネット直販申し込みの場合15GBになるのでした。 というわけで、SOTEC・M250APが我が家にやってきました。当初はこのM250を実用機にする予定でしたが、来てみたらデザインが芸風社1号機よりもだいぶしゃれているのとDVDが見られるということでこちらを家内との共用機ということにしました。 ところで、いまでは雑誌なども810チップセットのことを、ちゃんと「3Dゲームは無理」と書かれていますが、当時は「3Dゲームもこなす」などと書かれていました。実際は「MSフライトシュミレーター」は動きがカクカクとコマ落としのようになって、芸風社1号機のバッファロー「PERMEDIA2」WINDOW ACCELERATER WHP-PS/8MB(!)OpenGL,Direct3D対応のグラフィックボード(今では相当貧弱な印象)にも到底かなわないのでした。 製品が新しく出始まりの頃は、雑誌の評価というのは好意的なのかオジョウズなのか、あまりあてにならないのですね。 話がそれましたが、そのもう一台のPC、SOTEC・M250APに弥生会計を移して青色申告会の中間決算指導会をクリアしようとしたのです。 「弥生会計」という会計ソフトの秀逸なところはデータのバックアップが簡単にフロッピーに作れ、またリストアも簡単というところです。バックアップは外部に簡単に作れるのが大事だと思います。 一台のハードディスクをパーティションで区切り、仮の別ドライブとしてデータを保存してもCドライブのフォーマットだけでは回復せず、ハードディスクを丸ごと初期化するようになったらどうにもなりません。 また最近のメーカー製PCはリカバリーCD付属というのが多く、これを使用するとハードディスクを丸ごと購入時と同じような状態に戻してしまうのですから、やはりお手上げです。CABSホルダからの上書きインストールもWindowsが立ち上がっていればこそ出来ることです。 外部バックアップは多くのソフトが採用してほしい機能です。 というわけで「弥生会計」は帳簿をつけるたんびにバックアップをとっておりましたので簡単に復活出来そうです。 やってみたら、やっぱり「弥生会計・帳簿データ」はフロッピーから簡単に復活いたしました。エライ! 弥生会計の帳簿づけを無事終わらせて、やれ安心、帳票を印刷と思いましたら出来ません。印刷ボタンを押すとフリーズしてしまうのでした。何度やっても同じでした。 原因は恐らくダメになったPC(芸風社1号機)のデータをハードディスクのフォーマットの前にLANで見にいったところ、C以外のドライブは読めたので取り込めるものは取り込んでおいたフォルダの中に弥生会計のデータも入っているので、そんなものが邪魔しているのかも知れません。 この問題はは娘のご亭主M君のメビウスノート(Windows98)に弥生会計をインストールして、記帳し終わった帳簿のデータをリストアするとアッサリ印刷できましたのでたぶんそんなことではないかと思われます。 こうして青色申告会の用事も済ませることが出来ましたので、またPCに取り掛かることが出来るようになりました。 「ホームページ復活」のためにM250をそのまま使用するにはチョット問題があります。それはSCSI接続で外付けハードディスクドライブを使用するとM250のハードデスクのドライブ名がドライブC以外はズレてしまうということです。私はいままでハードディスクを三つに区分して使用しています。ドライブCはWindows(OS)にからむものドライバ類やユーティリティ(MsOfficeなどのMs製品含む)。ドライブDは画像管理・加工、地図、ゲームなどのアプリケーション。ドライブEはデータの保管場所。 このPCに外付けのハードディスクを接続しますと、外付けの一番目のドライブがドライブDとして認識されてしまいますのでPC側のこれまでDドライブだったのがEドライブに、EドライブだったのがFドライブになってしまいますので、考えただけでもややこしい事になってしまうのでありました。 そして、いろいろと考えたあげく、やはりホームページ用に専用機が必要ということになったのでした。ホームページ制作とアップルの会計程度ならPCの性能は低いもので十分。安価なものなら5万円程度で購入出来ると思い、調べますとなかなか思うような適当な製品が有りません。メモリは128MB以上は欲しいので増設したり、LANボードを増設したり、余分に予算が必要になってきます。 それならばと「芸風社2号機」の製作を考えるのでした。 (つづく...) |
というわけで、芸風社2号機の製作です。12月4日、もし不具合がでた時に便利なように自宅に程近い川口 CompMart にてパーツ購入。
このパーツ選びは、実用機を作るのですから自作初心者でも「安心できるもの」をポイントに価格との兼ね合いで決めました。 マザーボードは日本語のマニュアルと815Eチップセットで最初からAX3SPに決めていました。P2Bのマニュアルが英語で書かれていて未だにちんぷんかんぷんなのです。 CPUはソケット370でこの時一番安価なもの。メモリは箱なしのバルクは不安なので「業務用」と書かれた愛想のない箱に入ったもの。ハードディスクはこのお店で「特価おすすめ」の品。CDDとFDDは値段で(CDR-Wは高価なので後回し)。PCケースはやはりこの時一番安価なもの。 夜、店から帰ると食事を済ませた午前2時、早速作りはじめました。 始めてみるとAOpenの日本語マニュアルとインストールガイド(結線案内図)は素晴らしく、迷うことなく作業を行えてBIOSもあっさり起動。ハードディスクにパーティションをきってCドライブにWindows Meをインストールし終え完成。12月5日午前5時40分でした。久しぶりの満足感で床に入る。 参考にした本 「PCfanBEST Vol.3自作パソコン完全ガイド」毎日コミュニケーションズ ペンティアムV・セレロン編、アスロン・デュロン編、デュアルCPU編と写真による極めて解りやすいガイド。製作するまえにイメージが出来る。 「できる自作パソコン」インプレス書籍編集部編 1999年4月の発行で1号機にSCSIを着けるとき買ったもの。もはや内容は古く、この時のCPUの解説で最速はPentiumUの450MHz/62,700円となっています。いま2001年3月ではPentiumV866MHzが24,800円(おそらく倍以上速い)、6万円だすとPentium4の1.4GHzが買えて200円くらいオツリをもらえそうです。おそろしいですね。 本に出てくる品々は古いですが製作の手順などは参考になりました。解りやすくてよい本です。 この本ではマザーボードのメーカーで「ASUSTek」を「エーサステック」と呼んでおり、私もP2Bのユーザーですから覚えていますが、当時秋葉原でも「エーサステック」で通用しておりました。いまでは「アサス」と言わないと笑われるか「どんなスペルですか」などと言われてしまいます。月日の流れというものはおそろしいですね。 (追:CS放送コンピュータ・チャンネルの番組「CPUニュース」で「ASUS・パワーユーザー・フォーラム2002」(2002.3.10)の様子を取材紹介していましたが、そのなかでASUSTek COMPUTER INK.のMr.Yvens Tsengさんは「アスス」あるいは「アスウス」と発音されているように聞こえました) というわけで、アッサリ出来てしまった芸風社2号機ですが、6日にはLANが開通。7日にはSCSIボードを取り付け、外付けHDD、MOドライブと結線。8日すっかり環境が整ったところでIBMホムページビルダーをインストール。1号機はペケのままですが、2号機完成でようやくサイトの更新が出来るようになりました。新しいPCはムダなものが入っていないのでとても気持ちよく使用できるのですが、バックアップで保存してあったいろいろなデータが悪さをするのか、データを転送しようとするとHPビルダーが強制終了してしまうことがあり、また突然、再起動が起きてしまうこともあるのでした。 そうこうしている内にあわただしい12月も終わって新世紀に突入ということになりました。 1月7日どういうわけか私は川口のCompMartにおりました。すると傍らになぜか「Windows2000・期間限定版」というものが15,800円で売られておりました。その箱を手に取り見ますと、なんとも魅力的なパッケージ。もはや棚に戻すことの出来ない私でした。 というようなわけで、芸風社2号機は再FDISK&FORMATの末にWindows2000マシンになりました。今度はSCSIボードを取り付けず、必要なアプリとデータだけを取り込んでピュアなHP製作と画像取り込み専用マシン。一途な安定性重視マシンを目指しました。繋いだ周辺機はエプソンのスキャナとIOデータ製のCDR-WいずれもUSB接続。 ここでコケルと面白いのですが案に相違、ところがぎっちょん。Windows2000は素晴らしい。さすがに主力のOSだけあってドライバの入手が容易。OSが自分でインターネットを使って探しに行きますし、大概のメーカーのものは雑誌(例、DOS/Vmagazine)の付録に収録されています。 そして、なにしろ今日の4月2日まで一度もフリーズやらクラッシュやらといったことが無いのですよ、メールをくれたR.K.さん。1.2GHz自慢のADSL男、R.K.さんからメール戴きました。 というわけでホームページ作成はOKということで、いよいよ1号機の復活に取り掛かろうと思います。 (つづく...) |
決算も無事に終わった2月のある日、久しぶりに芸風社1号機の電源を入れてみました。するとなんとなくWindowsが立ち上がるような気配があって、一瞬うれしい気持ちが湧き上がりましたが、これはSetUpの時の再起動とおなじだとわかってやっぱりがっかりしたのでした。律儀に、ちゃんと同じところで止まるのでした。 サァ、そこでやはり悪いのはマザーボードであろうから最終的にはBIOSのアップデートになるのでしょうが、其の前にやっておきたいことが有りました。それはマザーボード以外のパーツのチェックです。 BIOSのアップデートは未だによく解らないので後回しにしたい気持ちが...。それにHDDの様子がだんだんと不調になってきたのも気になります。スキャンディスクを繰り返すうちにだんだんと「複数のクラスタにエラーが有ります」というようなメッセージも出だしたのです。 そこで、今も動いていてしかもマズっても惜しげの無いSlot1,Celeronのマシンが2階(娘夫婦の家)にあるという情報をえて、これを借り出すことにしました。頼んでみると、とても気のやさしい娘のご亭主M君はすぐに快諾してくれましたのでCeleron400MHzと2GBのハードディスクドライブの完動品が使えるようになりました。 ところが、いざ実行する段になって電源を入れたところ、HDDがブィーンと回りっぱなしになって、いつまでたっても、電源を入れなおしても、画面にはなにも出ず真っ暗なままHDDがブィーンとゆってるのでした。 ははぁ、これはハードディスクがイッてしまったのか、と思いました。(原因はハードディスクなのかも) がっかりしている私を見かねてやさしいM君は「ハードディスクとCPUは使える様なら使っててくれてかまいません」と言ってくれましたので、私は内心「これで動くようになればCPUとHDDが変わるのだから芸風社3号機と名付け我が物にしてしまおう」と考えました。動けばこっちのもんだィ。 しかし邪(ヨコシマ)な考えはやはりいけませんね。元気に組み付けたものの、電源をONにすれば起動ディスクなどそっちのけでハードディスクがブィーンと回りはじめるのでした。 何度か電源のON、OFFを繰り返しますとだんだんと回り方が荒っぽくなっていくような気がしまして、とうとうあきらめてCPUとHDDは返すことにしました。その後のCPUとHDDの様子は知りません。 やはりマザーボードを変えなければダメなのでしょうが、いまさらSlot1のマザーボードを買う気も起きません。かといってSoket370のタイプを買うとCPUも買わなくてはいけなくなりますから、しばらくおあずけ、ということになりました。 というわけで芸風社3号機はPCとしての機能を果たすことなくHDDを勢いよく回しただけでその生涯を終わらせることになりそうです。 そこで登場するのが下記にあるとおり1.2GHz&ADSL男のR.K.さんです。くやしくて対抗したわけではないのですが、なぜか急遽PentiumV866MHzを買ってしまったことで、浮かび上がるのがこれまで使用していたSeleron667MHzです。 てなわけでSoket370マザーボード「Iwill製VA133」(PC DEPOTで7,970円)も購入しました。
(あまったCeleron667MHzの活躍の場は「芸風社4号機」へ...つづく) |
3)呪われているのはPCか店長か | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
というわけで、長かった話もひとまず決着をつけたいので3月から4月にかけての状況をかいつまんでお話しますと、SOTECのM250APをアップルの店に持っていきました。ビデオやDVDのストックなどを置いてあるスチール棚にD.I.Y.店で化粧版を買ってきてボルトとナットで固定してPCディスクにしました。 狭い店で使うには工夫がいりましたが、出来上がりは満足しています。 これで店番をしながらエクセルなどを使ってデータベース作りが出来そうです。それにDVDソフトの試写も出来そうです。 そうこうしてますと、4月になりました。すると暖かい日が多くなり、気持ちもやはりアクティブな方へと向かうのでした。 芸風社4号機の計画は3号機がダメだとあきらめたときから考え始めたものでした。それは、いずれ2号機のceleronをpentiumに変えたいということでした。そうするとceleronが余るので次にマザーボードを買えばあとは3号機からの流用パーツで良いんではないか、危なっかしいのはハードディスクだけだ、3号機の欠陥はマザーボードに違いないのだから安いマザーボードでも新品ならばイケルでしょう。先ずはpentiumVだ。 と思いますと、まてよpentiumV866MHzが24,800円、それだけあればAMD・Duron800MHzが10,000円だからマザーボードまで買えてしまうのではないか。これにGeForce2MXのビデオカードを着ければフライト・シュミレーターなど余裕で出来てしまうのでは。 などとも思いました。 4月3日、そんなところへ、久しぶりに1.2GHz男のR.K.氏からメールが... R.K.氏というのはじつは店長の古くからの友人です。店長は脱サラでアップルを始めて足立区西新井から出ることがなくなり、筆不精でもあるため友人知人達とは疎遠になっていったのでした。 Emailというのは、一般人とは6時間位ずれた生活をしている人間にとって非常に有難い連絡手段でした。電話と違って互いの時間や状況を考えずに送り、読むことが出来ます。 Emailを使うようになって幾人かの旧知と連絡がとれるようになりましたがR.K.氏もそんな一人です。 R.K.氏は昔からなにごとによらずデカイのが好きな男で、最近ではデジカメで撮った美人の娘の写真をファイルサイズのデカイまま友人たちに送りつけるという豪快な遊びに凝っています。 受け取った方は大変で、古いMacPCの別の友人などはモニタの表示が640X480しかないため一度に4分の1くらいしか、あるいは6分の1くらいしか見られず、どうスクロールしてもなかなか全体像がつかめないなどと言っておりましたが、デカイファイルを友人に送るというのは、なかなか面白い遊びではあります。 そんなR.K.氏が2月末に「1.2Gのパソコン、買っちゃいました。それとフレッツADSLも申し込んじゃいました」という、おそらくは知った友人たちを震撼させるであろうメールが届いたのでした。 R.K.氏にとって鬼に金棒、磐石の態勢で、でかいファイルを送りまくるぞという勢いがあふれておりました。 640X480Mac氏が急遽 i Macの購入を決めたのは、関係あるのか、ないのか、は確かめてないので分かりません。 4月3日のR.K.氏のメールの中身はともかく、やはりギガバイト超のCPUはいまのアップルには経済的にむりなので、安定性とコストパホーマンスでpentiumV866MHzに決めよう、と決めました。Duron800MHzのゲームマシンも捨てがたいのですが、廉価版のCPUばかり揃えても仕方ないという意見もありまして「pentium購入」を決意したのでした。 4月9日 pentiumV866MHz133FC−PGAをついに購入。 仕事で出かけた帰り道、その気がなくとも遠回りして寄ってしまうCOMPMART。バイクの車検費用の残りの現金がポケットに有って、COMPMARTに来てしまえば、もはや自らを禁じえないpentiumVなのでした。 そのまま、どこにも寄らず家に持ち帰ると早速、芸風社2号機のCPU交換作業に取り掛かりました。 するとseleronではなんでもなかったCPUFANの取付け金具がpentiumVではやたらと硬く、下手をするとマザーボードを傷めかねないと思えました。2号機では自然に堅実な方法を取ろうとするのでした。不思議だ。 すぐと、自転車に乗って近所のPC DEPOTへ行ってフィンの部分にアールのついたチョット見栄えの良いCPUFAN「BIG WAVE」を買ってきました。これは、大きくて力の入れ易そうな取付け金具が目を引いた製品でしたが、実際に楽に取り付けることが出来ました。 電源を入れますとBIOSの画面にちゃんとpentiumV866の文字が確認出来ました。芸風社2号機は、まったく問題のないPCなのです。 さあ、とうとう、というようなわけでseleron667MHz芸風社4号機の製作に取り掛かることになりました。 まずはマザーボード選びですが「安ければなんでもいいや」と言う道と、芸風社2号機で使ったAOpen・AX3SがTYPE2が出たため値下がりしているので(1,000円程度)、大変しっかりした製品だし、2号機との互換で拡張カードなどの相性を見るのにも良いかも、と言う道を考えました。 いままでPC店に行く度に現物のデザインや価格を見たり、雑誌「DOS/Vmagazine」のホームページ「Vwalker.com」で製品の情報を確認したりしてましたが、この「Vwalker.com」というホームページは重宝しました。雑誌では特集記事でもやはり新製品主体ですから、お店で見かけてどんな製品か知りたくてもいまでは掲載されてないことのほうが多いのです。とくに価格の下がった一、二世代前の製品は(一番知りたいのに)出てません。このホームページでは以前掲載された解説と、其の他にも「ザ・モール」というコーナーで現在の秋葉原辺の実勢価格がわかりますし、そのまま注文することも出来ますのでとても便利なページです。 さて、いろいろ調べたり眺めたりしましたが、近所のPC DEPOTに陳列の「Iwill製VA133」マザーボードの価格7,970円に勝る魅力を持つものが無かったので、これに決定、購入いたしました。安すぎるのが心配ですが、もちろんVwalkerの記事とIWILL社のホームページも拝見して決めたのでした。 Iwill・VA133の仕様は
さて、この時点での構成は
というわけで4月10日夜(11日午前2時)、店から帰ると早速組み立てにかかりました。IWILL・VA133マザーボードはデザインがシンプルで実際に組み立てやすいものでした。 電源を入れてもHDDがいきなり回りだすこともなく、BIOSの設定もOK。起動ディスクから立ち上げHDDをFDISKでC,D,Eと3ッのドライブを作り(1号機に接続されていた外付けHDDを接続する際、ドライブ名がずれないように3っのドライブが必要)、FORMATも完了。 いよいよ難関のOS・Setup、Windows MeのSetupに取り掛かりました。相変わらずのSetup画面で(何度見たことだろう)あきあきしているのですが我慢してみていると、いよいよ再起動のところまでやってきました。 ドキドキしながら見ておりますと、再起動から立ち上がりかけていきなり「コンピュータの電源を切る準備が出来ました」という、いつもコンピュータの電源を切るときのいつもチラッと出る画面表示が出て、勝手に終了してしまったのです。 ちょっとあせりましたが、すぐ電源を入れなおしますと今度は「Safe mode」で起動しかけます。そして
というようなものが出ました。 そして再起動。するとレジストリ・チェッカーが働いて「レジストリが修復されました」との有り難いお言葉。「OK」でWindowsが起動。すると突然「コンピュータの電源を切る準備が出来ました」プッツン。 なにか取り残された気持ちで寝床に入りました。 4月11日午前10時、今度はWindows98のSetupを試みましたが全く同じ症状でした。 午前11時8分、Iwillのサポート宛メールを送りました。(以下、メールの内容は名前を芸風社に変えアドレスなど直接関係無い部分を割愛しただけで文面はそのままです)
内容は上のとおりで「当方は初心者ですので手順などは、なるべくわかり易くご教授願えれば幸いです。」と書き添えたのが奥ゆかしいのでした。 Iwillのサポートにメールを送ったものの、返事がくるのは翌日か翌々日であろうと思っていますと、なんとその日の夕方18時15分にはIwillサポートからメールが届いていました。
これは嬉しいことでした。これまでの経験で某プロバイダや某PCメーカーなど、メールを送ってもなかなか返事がこないのが常で、忘れられていると思ってそれとなく催促したこともありました。 Iwillのサポートは終始すばやく、夜中に出すと午前中に、昼頃出すと夕方に返信が着ておりました。 Iwillはもう、すっかり気に入ってしまいました。 とはいうものの、「1つずつ追加して」と言うのがよく分からないけど、HIMEM.SYSが読み込めない原因のデバイスというのは、やっぱりアレかというココロあたりがある訳です。1号機からの残党で一番怪しいヤツ、それはHDD君です。 さぁ、もうここまでくると“HDD”さえ変えればイケてしまうぞ、という確信がもてちゃうのでした。サァこれからは安いHDD探しだ。というわけですが、このところ秋葉原に行く度に気にして見ておりましたが、20GBのものは安くなって1万円から1万2千円程度、ところが10GBのものでもやはり1万円位しているのでした。先ずは動作すれば良いのだから容量は少なくとも価格の安いものが欲しいのです。ところが近所のPC DEPOTに有りました。新品だけど開封品だから特価6,970円、シーゲイト製8.4GBでした。出費は痛いけどこれで終わるならと言う気持ち。もう決着をつけたいと言う気持ち。でもやっぱりダメだったらという不安。 そこで一応PC DEPOTの自作に詳しい店員さんに尋ねてみると「怪しいといえば皆怪しくて、ちゃんと動いている別のパソコンがあればそこから一つずつ交換して試してみるのが良いでしょう。ただし、相性というのが有りますので他のPCで大丈夫だったからといって安心は出来ません。キーボードやマウスも変えてみてください」という、良く分かるのだけれど結局なんだかわからない大変なお言葉。 キーボードやマウスは簡単に変えられるけど、それぞれ他のパーツはというと、芸風社2号機は完璧に動いている、だけれども主力機だからパーツを外して悪い病気が感染したらとってもイヤだ。そんなことはとってもデキない。 というわけで、仕方ないので買って帰った4月12日14時30分。早速取付け開始。FDISKでC.D.Eとドライブを作りFORMAT。Windows98のSetup。我ながらすばやく終了と行きたいところが、やはりと言うか不安のほうが的中し、再起動でSTOPしてしまったのです。 時計が16時を回りましたので食事の支度をしなければなりません。17時店に出勤のためこの先の作業は帰宅後におあずけです。一人で暗い飯を食べながら「呪われているのだろうか」と思うのでした。 店が終わって帰宅して食事をしてからIwill宛にMailを出しました。 4月13日午前2時12分
すると、4月13日午前11時45分には返信があって
4月13日午後4時48分
4月13日19時22分
ここまでくると、もうしょうがないか。という気持ちになりました。Iwillが動作の検証をしてくれるというので、なにか分かるかもしれない。ホッとする気持ちがちょっと余裕を生んで、預ける前に気になることをやってしまおうかという気になりました。それは、 1.電源の電圧確認で、ある方の例で「5Vの部分が半分ほどしか出てなくてOSが起動しなかった」というもので、これはBIOSで確認できるのでやってみる。 2.CDドライブのマスター接続。これは一本のケーブルでHDDをマスターにCDDをスレーブに接続してあった1号機の方式を踏襲しているのですが、3号機のときにケーブルも一応疑って新調したのでそれを使って、プライマリのマスタにHDDをセカンダリのマスタにCDDを接続する方法に変えてみました。 3.メモリも検証するということなので、芸風社では一番信頼性の高いSOTEC・M250に最初に着いてきた物に交換。BUFFALOのNAMEが入っている。 そんなことを考えていた4月14日。ですが 電圧のチェックをして問題なしと思い、メモリを変え、CDDのジャンパ設定をマスタに変え配線をしてみましたが、やはりダメだろうなという思いは消せませんでした。 そんなことからか、まずは控えめにWindows95からインストールしてみることにしてみました。 そしたら、例の再起動の後も「残り時間の数字」がちゃんと減っていくし、そうこうしている内にWindowsを初めて使うときのウイザードの画面が出てきちゃって、どうやらOSのSetupができちゃったみたい。 もう、うれしいやら、コワイやら。今晩はここでやめて寝ちゃうことにしました。明日15日はWindows98に挑戦だ。 実は、なんと、この14日(土)の昼食前の時、私の前歯が一本抜けてしまいました。それも自然に、というのも変ですが、以前からぐらぐらしていたものがこのところやけにぐらぐらの度合いが大きくなったなァと思って指でつかんでみたらスゥッと抜けてしまったのです。10年位前からこの前歯の一本は歯肉炎のため両脇から押し出されるように出てきていたのですが、歳をとったせいかいよいよ歯槽膿漏となり、ますます突出してぐらぐらとなって食事の際には十分な注意が必要で、ずっと私を悩ませていたのですが、4月に入ってやけにぐらぐらの度合いが大きいと思っていたら、なんと抜けてしまったのでした。 顔はみっともなくなったでしょうが、食事の悩みも無くなりました。歯が抜けて熱が出るといけないという娘の助言でバファリンを飲みましたが、ココロは軽くなったので昼食は皆で近所のファミリーレストランへ行くことにしました。私は久しぶりにカツカレーを食べておいしかったー。 というわけで、Windows95がインストールできたのでした。? 関係あるのでしょうか。あるような気もするのです。 4月15日(日曜夜・実際は16日午前1時、ややこしいけどがまんしてネ。因みに日曜日はアルバイト君が休みなので正午の開店から店番をするため、夜12時閉店まで何も出来ないのでした。) 店から帰ると早速Windows98のSetupに取り掛かりました。すると、やっぱり出来ちゃったのです。 グラフィックカードのドライバがインストールされていないので640X480のでかい字で表示されていますが「マイコンピュータ」を開いてハードディスクの容量を確認してOK。では次にグラフィックカードのドライバを入れて、その次にマザーボードについて来たCDからドライバ類を入れてと思ったら、このCDは読めなっかたのです。でもマァいまはいいや。ということで、 早速、Iwillサポートにメールを書くことにしました。うれしいのか、我ながら顔が笑っちゃっているのでした。 4月16日午前2時45分
「見捨てずよろしく」が泣かせます。このCDドライブはSetupの時にOSのCDが読めるのですから問題ないと思っていたのですが、もう残った旧パーツはこのCDDとFDDだけですから安いものがあったら買って決着をつけようと言う気になっていました。 16日11時20分
Iwillサポートから上のようなメールを貰いまして、電源はOKといううれしいお言葉。もはや行く道筋は1本ということで、昼食をすませると、早速PCDEPOTでCDドライブ(BCD52X、4,270円)を買ってきました。 今度は新品。ということで自信をもって組み付けますと、各ドライバもあっさりインストール出来まして、モニタ場面表示も見慣れた1024X768表示となりました。これはもう、Windows98が完全にインストール出来たということで良いでしょう。 それから、それから、(勢いがついてますから)ダメだと思っていたIBM製10GBのハードディスクを試しに接続してWindows98をインストールしてみますと、やっぱり出来てしまいました...。 すると、てぇことはシーゲイトのハードディスクは買わなくてもよかったのじゃなかったのか。・・・・・・。 4月17日午前1時36分
検証してくれるというIwillサポートに、ちょっとバツが悪いのですが、お礼の気持ちでメールを書きました。 すると、
という、なんとやさしいIwillサポートの方。最後まで有難う御座いました。 さて、完成なりました芸風社4号機はサウンドカード、SCSIカードを取り付けまして外付けのハードディスクも接続出来、問題なく動作。インターネットPCとしてスタートいたしました。そして4月20日グラフィックカードをGeforce2MX(A・Open PA256MX 32MB バルク品、秋葉原で8,580円で購入)に換装。体験版ゲームPCとしても活躍中です。 さて、完全に落ち着いたところで、最後に「ASUSTek P2B マザーボード」と「pentiumU366Mhz」の検証です。 これは娘のご亭主M君がPC DEPOTのゴールデン・ウィーク特売でPCケースを購入したことで、空いたPCケースを使い検証出来ることになりました。 P2Bマザーボード+pentiumU366MHzにハードディスクはM君所有のクァンタム製4GBのもの、CDDとFDDもM君所有の動作確認済のもの、グラフィックカードは芸風社4号機に最初付けてあったAOpen・PG80・ 8MBという構成です。 これで、ナント、Windows98がインストール出来てしまいました。ということは、P2B自体は悪くなかったんじゃない。....。 それでは、ともう一つの容疑者IBMのハードディスク10GBはどうなのかと、くっつけてみると、やっぱり、ナント、Windows98がインストール出来てしまいました。 ということは、やっぱり、このマザーボードとIBMのハードディスクの組み合わせは悪くなかったんじゃない。 ...。 ひょっとすると、CDドライブだけがマイナートラブルを起こしていて、それだけで半年ものあいだ悩んだり、右往左往して2機もPCを組み立てたりしたのかもしれないのか!...。 結局パソコンに不具合が出て、どの部分か特定できないとき、検証するには一通りの健全なパーツが必要ということでしょうか。 悩んだだけ損したとは思いたくは無いが(FDISKは旨くなっちゃいました)、やっぱり思いたくなっちゃいます。だって自分で解決したとはとてもいえないことなのですからね。 これで、さらに1号機のCDDを組み付けてトラブルが出ればコイツが犯人と確定出来るのですが、もうそんな勇気はありません。 オシマイ。 |
その後の「4号機」 |
2001年6月、DVDドライヴ取り付け。 7月頃、リムーバルHDDケース取り付け。 8月頃、celeron800MHzが7,000円を切ったところで、換装。 PCIビデオ・キャプチャーボード取り付け。 と、いうわけでビデオ・デッキを接続して、映画の一コマを静止画キャプチャーして、ホーム・ページのカットに使おうという目論みですが、いまのところDVDの静止画ほど綺麗にはならないのが悩みです。安物のせいか?。 ハード・ディスクのリムーバル・ケースも安物のせいか「ハードディスクA」をセットして、Win98をインストール。正常に動作しますので、「ハードディスクB」をセットしてWin MEをインストール。正常に動作しますので、しめしめと「A」をセットしなおしてみますと、認識しないという、アブナイ状況に落ち込みそうになり、われながら賢明にも深追いは止めて「B」をセットしたままの状態で使用することに。 画像管理のアプリしか入っていない為か、非常に軽快な動作で活躍中。 因みに、その「A」ハード・ディスク8.4GBはceleron667とTranscendのマイクロATXマザーボード、バルクの小型ケースなどに組み合わされて「芸風社5号機(青蛙房バージョン)」の一員として活躍中です。 |
さらに、その後の「4号機」 |
そして、4号機は企画中のAMD・CPUで作る7号機、8号機の構成のため外されるものが外され、CPU,マザーボードはそのままに、ハードディスクは1号機から4号機に至るうち完全に復活したIBM製10GB。それが小型のタワーケースに入れられ、CDドライブもグラフィックカードもシンプルなものに換えられてインターネット&ワード・マシンとして「芸風社6号機(柳家小満んバージョン)」に生まれ変わりました。 |
7号機、8号機はAMDで |
「件名」は具体的に |
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