「ジャック・ブル」と「酔っ払い運転」
「ジャック・ブル」1999年:監督ジョン・バダム
西部劇ですがまじめな映画です。痛快西部劇では有りません。だから、ちょっと、面白くないかも。実話を題材にすればこのように作らざるを得ないのか。映画は良く出来ていて最後まで興味深く見てしまった。裁判の結果に不満な主人公ジャック・ブル達は自ら不公平を正そうとするが...。共感できるかどうか、この映画の後味の悪さはいろいろ考えさせられる、という映画です。

☆先日、酒に酔って無免許で無車検の車を乗り回したあげく、幼い少女をひき殺した男の裁判のニュースをTVで見ました。判決は確か懲役6年であったと思います。少女の母親のコメントは「これから何十年も生きる子の命を奪っておきながら判決はあまりに軽すぎる」というものだったと思います。

店長も全体に日本での犯罪の被害にあった命の値段・価値は低すぎると思っています。この男の無免許というのは以前飲酒運転によって免許停止か失効されたためだといいます。「1999年11月に東名高速で酒酔い運転のトラックに追突された乗用者が炎上、乗っていた幼い姉妹が死亡した事故で、東京地検は6月21日、被告(56)を懲役4年(求刑懲役5年)とした東京地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した(時事通信社)。
昔から日本には「喧嘩両成敗」ということばがあってこれを怠り不公平に裁いたりすると、後に禍根を残し「忠臣蔵」が起こったりするわけです。まして犯罪の被害というのでは一方的なものですから、これを犯罪者に償わせることが不公平であってはならないはずです。これを誤ると「犯罪が割りに合う事」になったり、「いっそ口封じの為に殺しちゃえ」となるわけです。

使い方を誤ればそれが凶器になると言うのは自動車とは限りませんが、車は安直に人を殺せる凶器です。
酒を飲めば人間のいろいろな能力が低下します。類似の薬物・麻薬とも同じものですが、酒自体は合法的なものですからこれによる被害に対しては甘くなりがちです。しかし酒も車と同じで過ぎれば凶器ですから飲む際には大きな責任が科せられるべきだとおもいます。酒を飲んで責任や判断力が低下したときの殺人は通常より重い刑が科せられるべきだとおもいます。車で、事故ではなく一方的にひき殺したりすれば通常より重い刑が科せられるべきだと思います。この懲役5〜6年というのは酒を飲んで車を運転している常習者には十分な軽さだと思います。

だって店長はいろいろ職を変えたりしたけど5年勤めたとこが2箇所、7年勤めたとこが1箇所、アップルなんて14年だもんネ。
もちろん公平にというのは被害者の決める公平ではなく、社会的に社会が納得する判決ということです。それによって世間も被害者を慰めることが出来、被害者は気持ちはおさまらなくてもマァしょうがないとあきらめられることだと思います。解釈はいろいろあるでしょうが「判決」と言うことに対しても社会は評価をすべきではないでしょうか。

最高裁判事の評価が選挙のおりに行われますが、なにをどう裁いた人で、どのような考えの持ち主か判らないのでは評価しようがないのでは。「憲法の番人を直接チェック」のうたい文句もピンとこないよね。
この映画を見て不公平に対して怒りましょう。


「件名」は具体的に

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