「歴史教科書」と映画「セイヴィア」
まず、5月5日朝日新聞に掲載された「私の視点」のなかからストックホルム大学アジア図書館司書・倉増信子さんの「歴史教科書・反省が生む日本人の誇り」と題したコラムを紹介します。

2001年(平成13年)5月5日 土曜日 朝日新聞 「私の視点・ウィークエンド」より
「歴史教科書・反省が生む日本人の誇り」
ストックホルム大学アジア図書館司書 倉増信子さん著
「新しい歴史教科書をつくる会」が主導して編集した中学歴史教科書が検定を通ったという朝日新聞国際衛星版の記事に、体の力が抜けるような絶望感を味わった。修正に応じれば合格する可能性が高いという2月下旬の記事以来、半ばあきらめかけてはいたものの、まさかそんな非常識が通るはずはないと望みは失わないでいたのだ。

自虐史観。つまり、同会によれば、アジア侵略、従軍慰安婦、南京大虐殺など自国の歴史の負の部分を教科書で取り上げれば、子供たちを誇りある日本人に育てることは無理、なにも自分で自分をおとしめなくとも、との考えのようだ。しかし、同会の方たちは、海外の同胞がどんな思いでこうしたニュースに接しているか想像したことがあるだろうか。

82年秋、私は結婚のため、将来の夫の国ノルウェーの彼の実家に滞在していた。ある日、家族だんらんの折、テレビのニュースで、日本軍の中国侵略の模様を写したという、古いけれど生々しい映像が流れた。理由を尋ねると、それが「侵略」を「進出」と言い換えた教科書問題の現地での第一報だった。

現在はスウェーデンに住んでいるが、以後、日本の政治家が歴史認識に関する問題発言をした折などに、何度あの手の映像を見せつけられたことか。例えば、生きたままの中国人を次々穴に投げ込んでいる画面。何とも残虐な、日本のお茶の間では決して見られない映像だ。

つい最近も、日本兵が中国人を生き埋めにしているテレビのドキュメンタリーの一場面を10歳の息子がたまたま見て、しばらくはショックでソファに沈み込んでいた。「日本は戦争中たくさんのひどいことをしたのよ」。テレビゲームをはじめ日本製品大好き、ともすれば文句なしの日本びいきになりがちの息子に向かって私は言った。

98年の天皇ご夫妻のイギリス訪問。戦争中日本軍に虐待された元捕虜の人々が道路わきに立ち、ご夫妻の車の通行時、一斉に背を向けたニュースが流れた。あの時も、もし日本政府が彼らの声に耳をかし公明正大な態度で対応していたら、日本人として異国でこんなに恥ずかしい思いをしなくてもすむのにと、どんなに悔しく思ったことか。

過去を反省したのちに初めて、真に日本人としての誇りが持てる。いつまで謝罪すれば許されるのか、という声も聞かれるが、それは舌先三寸の謝罪ではなく裏付けのあるそれをした時だ。自国に都合のいい教科書ではなく、歴史の事実に基づいた教科書で未来を担う子供たちを育てると誓うこともその裏付けの1つである。歴史の脚色や糊塗はもうやめよう。過ちてはすなわち改むるにはばかることなかれ。

(全文。但し、縦組を横書きに直しました。)

サイパン島玉砕
*ぎょくさい【玉砕・玉摧】
(「北斉書‐元景安伝」の「大丈夫寧可二玉砕一、何能瓦全」による)玉のように美しく砕け散ること。名誉、忠節などを守って潔く死ぬこと。(統合辞書MS・Bookshelf Basic小学館)

1995年製作東宝映画「ひめゆりの塔」の冒頭の状況説明において使われる「玉砕」という言葉は「大本営発表」などとともに戦後のテレビ・ラジオドラマや実録放送でよく耳にしたものです。戦後数年は遺族などへの配慮から放送などでは仕方ないとは思うのですが。現代のそれも映画で使用されるとは...。
映画「ひめゆりの塔」は、大切なひとつひとつの青春のときが無駄に浪費され、大切な命もまったく無駄に失われてゆく。といった大事なテーマがあるはずの映画が冒頭でこのように戦争で死ぬこと(犠牲になること)を曖昧にしてしまう美辞麗句を使っちゃって、どうなっちゃうんだろうと思っていると、案の定という映画になってしまうわけです。

これは「ひめゆりの塔」だけでなく他の日本の戦争映画の多くがそのようなので、これは映画を作る人たち(制作者を含めたスタッフあるいは全ての映画人)の戦争感は、とくに現実に起こった(日本が起こした)戦争とそれから派生している今の状況などが理解できていないのではないか、と思ってしまいます。

戦争に限らず国のやることやいうことはあまりあてにはならないというのは、今でも国を相手どった訴訟が多く有るのでわかります。それを小説家や映画人が面白おかしく、あるいは怒りを込めて世に問うという作品が多くあります。
しかし日本は島国のためなのでしょうか倉増さんのコラムにある「海外の同胞がどんな思いでこうしたニュースに接しているか想像したことがあるだろうか。」といわれてしまうことになるのですが日本は想像力が育ちにくい国ですし、なによりお役所というところが想像力を忌み嫌うところのような印象があるくらいですから残念なことです。想像できないんだと思います。

歴史教科書のことだけでなく日本の戦争史観の稚拙さは、隣国と地続きで接していない島国ですから歴史上幾度か危機はあっても実際に侵略された経験がないということもあるでしょう。
今こうしていても、世界各地で戦争は有り、戦争があれば虐殺、略奪、暴行ということが行われているでしょう。
「セイヴィア」という映画は1998年にオリバー・ストーンがユーゴの監督ピーター・アントニエビッチを起用して製作したボスニア紛争を舞台にしたドラマです。
デニス・クエイドが扮するアメリカ軍将校がテロで家族を失い、過去をすてるため外人部隊に入る。そしてボスニア紛争に従軍して非人間的な戦いを見るうちに、徐々に自分の人間性を取り戻してゆく。
この映画ではボスニア紛争の背景などは描かれておらず、日本にいる私達はNEWSなどでも、セルビア側とクロアチア側のそれぞれの言い分や情報がまったく食い違っていてどうなっているのか判らない状態ですが、互いに憎みあい、憎しみを持って殺す恐ろしい光景が描かれています。
戦争の恐ろしいところは、通常ならば良いお父さんや良いお兄さんと呼ばれたであろう人々が残虐に人を殺したり、非道な行いをしたり、そしてそれが日常的に繰り返されるため非道とも思わなくなってしまうところでしょう。
鬼のような敵兵も戦争さえなければ人のいいパン屋のおやじで終わっていたかもしれないのです。わたしも誰もかも戦争に行けば非道な行為を否応なく行ってしまうのでしょう。
大虐殺でない「虐殺」ならばいたるところで行われたであろうことは容易に想像できることです。そんな恐ろしいことを子供に教えなくてどうするのでしょう。と言いたいのですが想像力のない役所の人たちではしょうがないのでしょう。もっと良い映画をたくさん見てほしいものです。

島国の日本にいる人々は、それでも気になると見えて「外国から見た日本、外国人から見た日本人といった内容の本」はよく売れているそうです。
そこから想像力を働かせて新しいスタートをすれば今の日本ももっと変わっていると思いますが変わらないところをみると、ナァんだ、読んだだけで安心しちゃったので想像力は働かないのでした。

クリエーターを気取っている映画人の皆さん。想像力をもっと働かせて良い映画を作って下さい。今の日本映画、つまらないッス。

教育については教科書も問題だけども教えかたも問題あるかも、わたしなど小中学校の教科書に何書いてあったかまったくおぼえてないです。(私だけか?、ヤッパリ。)




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