わたしの 種田山頭火
この古いポスターは私が貼るのが下手なためシワシワに貼れてしまいましたが、でもパネルに貼っておいたおかげで30年経った今でもこうして残っています。 私が高校生の頃住んでいた所からバス停ひとつ離れた所にあった河内書店の主人がくれたもので、今でも懐かしいものです。書店の主人と言っても私とは6,7歳しか離れてない若者で、生意気な若造であった私の話しをイヤがらず聞いて、話し相手になってくれました。またいろいろな話をしてくれ、面白い本を教えてくれたり(良い本ではなく面白い本、為念)博識なのに気難しさのない人でした。 共に落語ファンでとりわけ古今亭志ん生ファンだったり津軽三味線が好きだったり、永井荷風、SF小説、推理小説、JAZZと話し出すと話題が尽きずに閉店する11時過ぎまで話し込んでしまうのでした。落語や寄席に関しては私より年上なだけ古い芸人を知っていていろいろ話してくれました。 山頭火は高校生の頃、父親の本棚で見つけヘンな名前だと思って見てみると、とたんにハマッてしまい(昔の詩人や小説家はヘンな名前のオンパレードだ)以来常に、旅好きで旅にあこがれている私のアタマのどこかに棲みついているモノですが河内書店でもそんな話題がでていたのでしょう、当時こんなポスターなどはなかなか手に入らないものなので以来タカラモノです。 この旅 果てもない旅の つくつくぼうし |
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ただし、このポスターの著作集は 1,900円全5冊ということで、高価なためとても手が出ませんでした。 そこで、下に紹介する新書版がMy Bookです。 |
オヤジの本棚でみつけた山頭火がアタマにこびりついてしまたのは、いかにも情景が目の前に浮かぶということからでした。 正岡子規のいう写実とはこういうことではないのかと思い、以来、落語などの話芸も音楽も絵画も写真も映画も具象抽象に限らず「目の前に情景が浮かぶ」を好き嫌いの基準にしていったため、いよいよ生意気なヤツになっていくのでした。 自選句集の「草木塔」が退色しているのは旅の友というだけでなく時々(ある時期)持ち歩いていていたためでビニールカバーがなければもはや原型はなくなっていたでしょう。 好きな山頭火ですが、特に旅中のものが好きなのでそんなものをいくつか紹介します。以下の説明は句集中のものです。 雪ふる一人一人ゆく うしろ姿のしぐれてゆくか 大正15年4月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た 分け入つても分け入つても青い山 昭和2年3年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国、九州をあてもなくさまよふ この旅、果てもない旅のつくつくぼうし 踏みわける萩よすすきよ まつすぐな道でさみしい 昭和4年も5年もまた歩きつづける外なかった、あなたこなたと九州地方を流浪したことである また見ることもない山が遠ざかる あの雲がおとした雨にぬれてゐる 秋となつた雑草にすわる 水音といつしよに里へ下りて来た 何が何やらみんな咲いてゐる 雲がいそいでよい月にする うごいてみのむしだつたよ わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく ほととぎすあすはあの山こえて行かう 笠をぬぎしみじみとぬれ あるけば草の実すわれば草の実 (自選句集の最後の句) 焼かれる虫の匂ひかんばしく |
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潮文社新書 俳人山頭火 ぞの泥酔と流転の生涯 上田都史著 昭和42年10月25日発行 |
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潮文社新書 漂泊の俳人 山頭火の手記 昭和43年9月15日発行 |
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潮文社新書 あの山越えて 山頭火行乞記 大山澄太編 昭和44年2月5日発行 |
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潮文社新書 草木塔 山頭火俳句集 昭和46年6月30日発行 |
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潮文社新書 愚を守る 俳人山頭火遺稿 大山澄太編 昭和46年6月5日発行 |
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