GRAND PRIX ILLUSTRATION BOOK
※2002年10月クリアな画像に更新しました。オマチドウサマ。
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当時のスカイラインのレースでの活躍は周知のことで、若い方も32型GTRの人気からスカGを知った後で、当時の活躍を耳にしたことと思います。 思い出しても、当時ライバルといえるクルマはマツダのカペラ・ロータリーぐらいでした。そのカペラ・ロータリーは設計(デザイン)が古くトレッドが狭いためコーナーで遅く、エンジンパワーで勝るので直線で前に出るのですが、コーナー部分でスカイラインに抜かれてしまうというレース展開を毎回続けておりました。マツダが新しいデザインのサバンナ・ロータリーで参戦してから、だんだんレースらしくなっていくのでした。 それほどに進んだクルマだったというわけでしょう。 とはいうものの市販車は...、下欄へつづく |
NISSAN SKYLINE 2000GT |
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とはいうものの...のつづき(GTRの当時の印象) スカイライン2000GTRとは言いましてもレーサーと市販車では全く別物でした。 スカイライン2000GTは木目のコンソールBOXやリンクで手前に引き寄せられたシフト・ノブなど雰囲気はスポーツカーでしたが、中身は当時の乗用車そのままで、2000tの6気筒エンジンはシングル・キャブ、ミッションは4速。ステアリングもギア比は忘れましたが乗用車のままでした。 だからこそ当時の普通の人にも乗りやすく人気を博したのでしょう。5速ギア、ツインキャブになるのはGT-Xからです。それでも中身は普通の乗用車です。 GTRは当時の強力なエンジンを積んだクルマの常で非常に重いクラッチ、パワー・アシストの無いディスク・ブレーキとステアリング、アクセサリー類の無いインテリア(標準ではシガー・ライターくらいしか付属しない)、リクライニングしないバケット・シートなど相当スパルタンで、乗りこなすのがステータスといったクルマでした。 重いクラッチ、重いブレーキ、重いステアリングというのはレーサーやスポーツカーでは当たり前で、ダイレクトな感触をさまたげるという理由でパワーアシストは使用しないのがプロという時代でした。 私はGTRのオーナーになったことはありませんが、重いクラッチは自分のクルマも十分重かったので平気なのですが、友人のGTRにたまに乗せてもらうとビビルのがパワー・アシストの無いディスク・ブレーキでした。先の信号が赤になってブレーキ・ペダルを踏んでも効く感じが全然ないのですね。あわてて全力で踏み込むとちゃんと止まるのですが、毎回最初はそんな感じでした。パワー・アシストの無いディスク・ブレーキというとホンダS800、日野コンテッサ・クーペに乗りましたがクルマが軽いのでOKでした。SRフェアレディはやはりちょっと重かったようです。 GTR市販車は、ステアリングが乗用車用の大きいギア比のままだったので一般道は良かったのですが、当時のタイトな山道ではステアリング操作がカナリいそがしく(スポーツカーではなく)やはり乗用車なのだと思われてしまうところでした。ギア比の小さいステアリング・ギア・BOXはスポーツ・キットかレース用パーツとしてか単体で市販されていましたが、取り付け工賃を含めて高価なので友人も手が出なかったようです。 今、直線番長という言葉がありますがGTRはDOHC6気筒ウェーバー3連装の加速は大迫力そのものですが、いっぽう2,000回転位(4速で50q/h位か)でしゅるしゅると流しているときのDOHCのメカノイズとウェーバーの吸気音がまた良かったのでした。今のクルマのインジェクションでは味わえないところですね。 そこから2速ほど落として、アクセルをガバッと踏み込むと今のクルマはなにごともなく加速しますが、ウェーバーは強力な加速ポンプがついていますから“のけぞり”ます。低い回転のままアクセル全開は厳禁で燃焼が間に合わないGASがプラグを湿らせて「カブちゃった」状態になっちゃいます。イタリアのウェーバーやフランスのソレックス(日本では三国ソレックス)、アメリカのデロルトなどみな同じ方式で強力です。古いカタログを見るときなどご参考に。 |
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