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解説:第一次世界大戦は航空機を飛躍的に発達させた。1914年7月から1918年11月までのわずか4年の間であったにも関わらず、初期の機体と終戦間近の機体とでは性能に大きな差がある。
ここでは、大戦前の黎明期の動力飛行機と、第一次大戦中の制空権と機体について簡単にまとめてみた。
| 1809 | イギリス人ジョージ・ケリー卿(1773-1857)が「空中航行論」を出版 | 基礎的な航空力学(上面がふくらんだ翼型の方が平板より揚力が大きいことも発見していた)、安定性・操縦性の要件を発表した。上半角で横安定が保たれることも見つけていた。人力羽ばたき機は、鳥と人間の体重と筋力から人間の筋力が7〜8倍にならないと実現できないとした。 1849年に自身が設計したグライダー(水平・垂直尾翼と昇降舵・方向舵が備わっていた)に少年を乗せ、公式に認められたものとしては世界初の有人滑空飛行に成功。 |
| 1874 | フランス海軍将校フェリクス・テュ・タンブルが単葉機で離陸に成功? | 弟のルイと共同開発した単葉機で離陸に成功(熱ガスエンジン)したが、飛び上がったもののコントロールできるような飛行ではなかったという。 |
| 1876 | オットー・エンジンの発明 | 初のガソリンエンジン。蒸気エンジンに対してスターリングエンジン(熱空気エンジン)、エリクソンエンジン(熱空気エンジン)などが発明されていたが、いずれも航空機用エンジンとしては難があった。N・オットーのオットーエンジン(ガソリンエンジン)によって、小型・軽量・高出力なエンジンが実現し、航空機用エンジンの道が開かれた。 |
| 1882/7/20 | ソビエト人グルベフ初飛行? | 機体の設計はアレクサンドル・E・モジャイスキー。モスクワ航空博物館に模型が展示されているが、滑走台から発進してまもなく右に傾いて大破し、飛行とは認められていない。 実はこのモジャイスキー、1854年に日本に来日し、乗っていたディアナ号が伊豆・下田に停泊中、安政の大地震で大破。代わりの船を制作する間描いていた絵が伊豆戸田村立造船郷土資料博物館に残っている。 |
| 1885 | ドイツのゴットリープ・ダイムラー、4気筒式エンジンを開発 | 蒸気エンジンは重量あたりの馬力が小さく、航空機用エンジンとしては無理があった。実用的なガソリンエンジンの登場でようやく使える動力がでたことになる。機は熟した。 同年、ベンツもガソリンエンジンを制作している。 |
| 1890 | フランス人クレマン・アデルが動力飛行に成功? | コウモリに似た翼を持つエオル号(蒸気エンジン搭載)で50mの飛行に成功したと伝えられるが、これはジャンプ飛行だったというのが通説。 1897年にはエオルの改良型で300m飛んだと主張しているが、証明されていない。アデルの研究は軍から資金を得ていたため、成功しないとまずかったのである。 |
| 1891(明治24年) | 二宮忠八がゴム動力の模型飛行機を作成 | 揚力と抗力の釣り合いで(つまり合成ベクトル)浮力が発生することを日本で最初に発見し、実験用に模型を造った。玉虫型飛行機の実機製作案は陸軍に拒否されて実現しなかった。 |
| 1894 | ライト兄弟自転車製造を始める。 | 飛行機の開発に乗り出したライト兄弟が、資金づくりのために始めたのが自転車の製造だった。 |
| 1896 | ドイツ人リリエンタール墜落死。 | リリエンタールはケリー卿(1809年参照)の理論に従ってグライダーを制作していた。2000回以上も飛翔したが、総飛行時間は5時間ほどだったという。最大距離は400メートル。 |
| 1901/10/19 | ブラジル人サントス・デュモンが飛行船でエッフエル塔を一周 | パリ郊外のサン・クールから出発し、エッフェル塔を一周して帰着した。これによって賞金15万フランを獲得。半硬式の飛行船は全長33mで20馬力のガソリンエンジンを備えていた。 飛行船でパリ上空を散歩、街角に係留してカフェに入った後離陸するなど話題となった。目立ちたがり屋で伊達男だったという。 |
| 1903/12/17 | ライト兄弟が初の動力飛行 | ノースカロライナ州キティホークの丘で、最初は弟のオービルが、次に兄のウイルバーが交互に4回飛んだ。 彼らは実機の前に模型を造り、風洞実験で飛行特性を解析するなど、近代的な研究手法をとっていた。彼らはまぐれ当たりで飛ばしたのではなく、研究と実験に基づいたデータで機体を作成し、飛行させている。 主翼よりも大きな迎角を持つ先尾翼をつけ、主翼より先に先尾翼が失速して機首を下げさせ、主翼の失速を防ぐ構造など、フライヤー号はよく考えられた機体だった。 さらに、片揺れを修正するという消極的なエルロンは以前にもあったが、機体を傾けるためという積極的なエルロンの使い方はこの機体がはじめてだったらしい。 |
| 1906/9/13 | ブラジル人サントス・デュモンがパリでヨーロッパ初の動力飛行に成功 | ライト兄弟の成功に刺激され、14-bisと名付けた飛行機を製作し、動力飛行(7m)に成功。10/23日にはエンジンを25馬力から50馬力にアップし、60mを7秒間飛んだ。 11/12日には補助翼をつけた改良型で220m、21.2秒間飛び、この記録がフランス飛行クラブで「世界記録」第1号として公認された。当時のフランス人にとってはアメリカは世界のうちに入らなかったらしい(^_^) 3年後には牽引式のドゥモワゼル機で時速90kmを達成している。 |
| 1907/3/30 | ボアザン・ドラグランジュI号初飛行。 | ドラグランジュの要請でボアザン兄弟の作った機体が6秒で60m飛んだ。 |
| 1908/1/13 | ボアザン・ファルマンI号 | アンリ・ファルマンの注文でボアザンが製作した機体がヨーロッパ初の周回飛行を行う。距離1km。 |
| 1908/10 | アントワネットIV初飛行 | ユーベル・ラタムの操縦するアントワネットIVが初飛行。 |
| 1909/7/25 | ブレリオXI機が初の英仏海峡横断 | ブレリオXIはこの年の1月に初飛行している。ラタムのアントワネットIVとブレリオXIがドーバー海峡横断をかけて争った。7/19アントワネットは離陸したものの海上に不時着。7/25ブレリオXIはフランスからイギリスに向けて発進し、37分後にイギリスに到着した。途中エンジンがオーバーヒートしたが、スコールがやってきてエンジンを冷やしてくれたという。 |
| 1909/8 | ランスで飛行大会開催 | ボアザン、ファルマン、ライト、カーチス、アントワネット、ブレリオなどが一堂に会した記念すべき大会。 |
| 1909/11 | ETRICH=TAUBE初飛行 | 鳩のような優雅な形をした単葉機。時速70km、4.75キロ飛んだ。改良型は500機以上製作され第一次大戦でも偵察機として使用された。 ドイツのルンプラー・タウベは、第一次大戦が勃発した当時、ドイツ空軍の約半数を占めていたほど。 |
| 1910/10/14 | 世界初の発艦 | アメリカのグレン・カーチスの製作したゴールデン・フライヤー号の改良型が戦艦バーミンガムの甲板からユージン・エリイ中尉の操縦で離艦。 着艦は1911/1/18戦艦ペンシルバニア号の後部特設デッキに同中尉の操縦であった。このときデッキには制動ケーブルが、機体にはフックが取り付けられていた。 |
| 1910/12/19 | 徳川大尉、日野大尉、日本で初飛行 | 佐々木練兵場で陸軍の徳川好敏大尉がフランスで購入したファルマン機で飛行。日野熊蔵大尉はドイツで購入したグラーデ機で飛行。これが日本で行われた最初の飛行となる。 |
| 1911/1 | 初のアルプス越え | ペルー人ジャン・ビエロブチクがブレリオXIで初のアルプス越えに成功。この4カ月前、ペルー人のジェオ・シャベスもアルプス越えには成功しているが、ドモドッソラの町上空で引き起こした際、機体が分解し死亡している(乗機はやはりブレリオXI)。 |
| 1912 | シュナイダーレース開催 | フランスの富豪ジャック・シュナイダーが水上機によるスピードレースを開催。賞金は1,000ポンド。1913年4/16には水上機の国際スピードレースが毎年開催されるようになる。第1回はモナコだった。 |
| 1913/5/13 | 初の4発機 | ロシアのイゴール・シコルスキーがG.I.ラブロフと協同で世界初の4発機を製作(機名不明)。10分間の初飛行に成功する。 改良型3号機はイリヤ・ムーロメッツと名付けられ、1914/6/29〜7/11の間にペテスブルク〜キエフ間(往復2,600km)を10時間半で飛行した。このとき機内食が出されている。 |
| 1913/7 | アブロ504初飛行 | イギリス人A.V.ローが設計したアブロ504型が初飛行。1913/11に時速130.2kmを達成、1914/2には高度4,395mのそれぞれイギリス記録を作る。この機体は第一次大戦が勃発すると陸海軍の両方に採用され、1万機以上が生産されるベストセラーとなった。くせがなく作りやすい機体で、大戦後も練習機として長く使われた。 |
| 1913/9/21 | 初の宙返り | アドルフ・ペグーがブレリオXIで世界初の宙返り。アクロバットの始まりとされている。 |
| 1914/6/28 | 第一次世界大戦勃発 |
オーストリア皇太子がセルビア人に暗殺された(サラエボ事件)のをきっかけに第一次世界大戦が勃発した。ドイツ・イタリア・オーストリアの三国同盟対イギリス・ロシア・フランスの三国協商の戦いが始まる。ヨーロッパの30カ国以上が巻き込まれ、ヨーロッパ大戦とも呼ばれた。日本は日英同盟により、協商国に加わった。 開戦時、フランスに約1,500機、ドイツに約1,000機、イギリスに約100機の軍用機があった。 |
| 1914/8 | タンネンベルヒの会戦でドイツが大勝 | タウベ(1911年参照)が進軍中のロシア軍を発見し、ドイツが大勝した。飛行機が偵察用に有用であるとして脚光を浴びた瞬間である。 |
| 1914/8末 | ドイツのタウベがパリを爆撃 | 投下したのは小型の砲弾であった。同時期にイギリスのアブロ504がドイツ軍陣地を攻撃している。この年の末頃、ボアザンI型(フランス)に爆弾を吊るし、爆撃機として使用し好成績を収める。爆撃という新しい攻撃ジャンルの萌芽が生まれる。 |
| 1914/10/5 | 初の空戦 | フランスのボアザンI型がドイツ機を撃墜。初の空戦といわれる。偵察、爆撃、戦闘と一通りの軍用機の用途が出そろった。 |
| 1914/10/13 | 日本、初の空戦 | 中国のドイツ領であったチンタオを日本が攻撃。モーリス・ファルマン2機とニューポール1機で攻撃に向かったところ、ルンプラー・タウベに迎撃を受ける。機銃はないのでピストルの撃ち合いであった。 |
| 1915 | Spad A.II(フランス) | 牽引式だが、なんとプロペラの前に銃手の席を設けた。このガンナー席は着陸の際によくはずれたという。 |
| 1915 | F.E.2b(イギリス) | 推進式で前席に銃手が座る。速度が遅かった。戦闘機としては稚拙で、後に爆撃に回される。 |
| 1915春 | Morane-Saulnier Parasol L(フランス) | モラヌ-ソルニエ パラソル翼L型の機首に機銃を取り付けた。プロペラには弾が当たってもそれをはじき返す鋼板カフスを取り付けた。乱暴なやり方だが効果は大きく、3週間の間に5機のドイツ機を撃墜した。パイロットはローラン・ギャロ中尉。 |
| 1915 | Fokker E.I(ドイツ) | ドイツ戦線内に不時着したローラン・ギャロ中尉(このときの乗機はモラヌ-ソルニエN型にカフスを取り付けたもの)が捕らえられ、その機体の秘密が暴かれた。さっそくドイツは同調装置を作り、M5型につけてE.Iとした。1915年末まではこれに対抗できる機体はなく、ドイツは制空権を握る。R.A.F.2bなどはいいカモにされ、「フォッカーの秣(まぐさ)」と呼ばれた。 フォッカーE.Iで戦闘機のジャンルが確立されたといわれる。 |
| 1915/3/20 | ツェッペリン飛行船のパリ空襲 | Z型、L型、LZ型、SL型が生産され、3/20からパリを、5/31からはロンドンを爆撃し始めた。パリは3回だが、ロンドンは終戦までに51回の空襲を受けた。 |
| 1915後半 | Nieuport 11(フランス) | 一葉半の戦闘機で機銃は翼の上面にあった。運動性と上昇力に優れ、ドイツ機を手こずらせる。制空権回復の兆し。 |
| 1915/7/25 | FB5 Gunbus(イギリス) | イギリス初の戦闘機隊第11中隊がフランスに派遣される。このとき使用していた機体がGunbus。Gunbusは最初から戦闘機として設計された初めての機体といわれている。それにしては運動性が悪い。 |
| 1916始め | de Havilland D.H.2(イギリス) | 推進式ながら運動性がよく、ドイツから制空権を回復したが、まだドイツが優勢。 |
| 1916/6/18 | マックス・インメルマン戦死 | インメルマルターンで有名になったインメルマンが戦死。 |
| 1916夏 | Nieuport 17(フランス) | Nieuport 11の改良型。エドワード・マノック、レイモンド・コリショウ(共にイギリス)が搭乗してスコアをのばす。 |
| 1916/9 | Albatros D.I(ドイツ) | アルバトロスD.Iは木製モノコック構造を持ち、160hpの強力なエンジンで175kmの最大速度を引き出し、2丁の機銃で連合軍を圧倒。9/17にF.E.2c×2機とF.E.2d×4機の編隊を追いつめ、全機撃墜した。この中にリヒトホーフェンも加わっており、彼の撃墜1号を記録した。 |
| 1916秋 | Sopwith Pup(イギリス) | 80hpほどの回転式エンジンだが、運動性がよく、特に高空性能がよかったため、高空ではAlbatros D.IIIより優位に立てた。 |
| 1916秋 | Spad S.VII(フランス) | 単座戦闘機で、150/180/200の異なるエンジンを積んだバリエーションがあった(いずれもイスパノスイザエンジン)。190kmとスピードが速く、一撃離脱を得意とした。S.XIIIの原型となった。 |
| 1917/2 | R.A.F S.E.5(イギリス) | 戦争後半で主力となる単座戦闘機。 |
| 1917/2 | Bristol F.2B(イギリス) | 複座で後席に銃手がいた。198kmの高速を誇り、戦闘機と同じように機動できたという。偵察・爆撃機としても使用された。ブリストルファイターとして知られる。 |
| 1917/4 | アメリカ参戦 | ドイツが中立国の商船でも警告なしに沈める無制限潜水艦戦を始めたことで、及び腰だったアメリカもウィルソン大統領が参戦を決める。 |
| 1917/4 | 血まみれの4月 | ドイツはアルバトロスDシリーズをD.I(16年)、D.II(16年秋)、D.III(17年)と次々改良・投入し、この月、イギリスは368機、500人以上の乗員を失い、血まみれの4月と呼ばれた。アルバトロスDシリーズは鉄十字のサメと恐れられた。 |
| 1917/6 | Sopwith F1 Camel(イギリス) | 抜群に格闘が強かった格闘機として有名。ただしくせが強く、ベテランでないと乗りこなせなかった。この年Sopwith tryplaneも登場し、これがドイツのDr.Iを生むことになる。 |
| 1917/7 | Spad S.XIII(フランス) | Spad S.VIIの改良型。これがSpadの決定版といわれる。やや大型になり、水冷230馬力エンジンを積み、最大速度220kmと高速だった。 |
| 1917/8 | Fokker Dr.I(ドイツ) | 第一次大戦を通じておそらくナンバー1の格闘機だった。ウェルナー・フォスはこの年の8月、わずか21日間に22機撃墜というスコアをこの機体で叩き出している。リヒトホーフェン男爵最期の乗機としても有名。 |
| 1917/12 | ロシア/ドイツ休戦 | 1917/2と同10月に2度に渡ってロシアで革命が起こり、ロシアはやむなくドイツと休戦。 |
| 1918/11/11 | ドイツ停戦。第一次世界大戦の終結。 | 1918/11/9軍港キールで水兵が反乱。これが広がってドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は退位に追い込まれ、ドイツは降伏する。 |
戦争開始時には「まー偵察でもさせとけ」くらいの扱いだった航空機は、わずか4年の間に偵察機、制空戦闘機、地上支援攻撃機、爆撃機と現代に通じる用途の機体が出そろい、戦争の勝敗を大きく左右するものとなった(左右するだけだ。現代でも航空機だけでは戦争には勝てない)。後期には制空戦闘機は爆撃機の護衛任務もつとめている。
大型輸送機、対潜哨戒機は第二次大戦を、指揮・管制機、電子妨害専用機はもっと後にならなくてはでてこない。ま、当然ですが。
比較的戦域の狭かった第一次大戦では、大量輸送という目的で航空機が使われることはなかったようだ。兵站(軍事物資の調達・運送)は昔から戦争の重要項目だ。これが長距離・大量になったのが第二次大戦である。しかし、第二次大戦でも航空機よりは船舶に頼った輸送が大量輸送の主役である。
現代では長距離・大量に加えて、高速という要素が加わった。部隊(人員・戦闘用機器)の展開に輸送機は欠かせないものであるだけでなく、兵站こそが戦争の決め手であるととらえられるようになり、輸送機の役割は地味ではあるが大変重要なものとなっている。
なお、ヘリコプターは第二次世界大戦後にようやく実用化(実験機は戦前にあった)されている。
参考文献
「飛行機の100年史」鈴木五郎/PHP文庫
「飛行機のスタイリング」佐貫亦男/グリーンアロー出版
「発想の航空史」佐貫亦男/朝日新聞社
「The Royal Air Force - History Section」「WWI Aviation Pictorial History」「Those Magnificent Men」「Kiwi Aircraft Images」「Luftfahrtgeschichte.com Inhaltsverzeichnis(独語)」「Aircraft Archive(日本語)」「Wings of WWI 第一次大戦の戦闘機」その他
参照項目:
解説図:
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