1〜神戸入りまでの経緯
体験記より
 1月19日 朝

 会社の営業所からいつも仕事を貰って出ていくので、順番待ちで一番最後まで営業所に残っていました。
 仕事を貰って出る時に、ふと所長が「神戸にボランティアに行く話が持ち上がっているらしい」と話してくれたので、もし行くのだったら声をかけて欲しいと頼んでおきました。ついでに昼に直接会社に話しをつけておきました。

 同日 夜

 仕事を早めに終わらせて、去年の暮れ(1994/12)に新しく開通した首都高速湾岸線を、バイクの添加剤の慣らし走行の為に走っていると、会社からポケットベルが鳴りました。
 何かと思い大黒パーキングで会社に電話をしてみると、「神戸の救援ボランティアに行く為、明日の昼に出発するから至急用意して欲しい」という連絡でした。
 至急家に戻り風呂屋に行ってさっぱりし(^^;、準備をして”バイクも僕もOKよ状態”とあいなりました。
 まさか僕が直接現地に行けるなんて思いもしなかったので、被災者の役に立ちたい想いと不安が入り交じっていました・・・
 神戸市が震災に襲われた当初から、会社の内勤の方々も救援活動の事を考えていたようでした。聞いた話によると、社長も同じ事を考えており、内勤の方々と意見が一致して数百万の出費を覚悟で救援活動に踏み切ったようです。
 会社にとって好都合な事に、大阪にも支社を持っていました。そこを活動拠点として、援助活動を行う事になりました。
 1月20日 9時

 新宿区の山手線・高田馬場駅近くにあるセルート東京支社に、8名のライダーがボランティアの呼びかけに答えて集まりました。

 参加者のバイクの車種です。
HONDA XLR-BAJA = 1台  Degree = 1台 AX-1 = 1台  FREEWAY= 1台
YAMAHA SEROW = 1台  SRX400 = 1台
SUZUKI VX800 = 1台  GSX400 刀 = 1台

 そして陣頭指揮を執るセルート社員・Mさんの車種は、
KAWASAKI ZZ-R 1100

という大型バイクでした(ちなみにMさんは交通安全指導員です)

 会社から、宿泊先の大阪の支社まで基本的には車で移動するが、途中、渋滞で動けなくなったら自走すると言われました。
 2tトラックにZZ-R1100 (積むのに苦労しました(^^;)を始め6台、軽トラックにSRX 400 とフリーウェイの2台、ロングのワゴンに刀(布団に包まれて一番大切にされていました)1台、合計9台を支援物資や寝泊まり用の布団人数分以上と共に詰め込み終わったのが、出発予定時間の昼よりも大幅に遅れて、夕方の6時になってしまいました。
 同日 18時

 陣頭指揮1名・ボランティア志願者8名・レンタカー持ち帰り要員2名の計11名で、大阪の支社に向けて、渋滞の東京の中を出発しました。
 使う高速道路は、東名高速の通行止めを予想して中央道にし、名古屋の手前で再度ルートの検討をした結果、途中一度一般道に下りて、西名阪から大阪入りしました。
 大阪の支社に到着したのが、薄明るくなった明け方の6時頃でした。
 会社としては救援活動はボランティアでしたが、救援活動に志願してくれた契約ライダー達には、活動期間の給料の最低額保証がついていました。そのため、心おきなく救援活動に志願できた訳です。
 大阪支社までは、夜の内に一気に移動するハードなものでしたが、予想外に渋滞に巻き込まれる事なく、無事に大阪に着く事ができました。
 移動の足になるバイクの構成をもう一度説明しますと、この中でオフ車は4台・オン車4台・スクーター1台です。後に雑誌などで、オフ車ではないと走りづらいという記事がありましたが、意外と大丈夫でした。
 ちなみに、僕のバイクは HONDA AX-1 です。


[2003/08/07参考追加]
この救援活動では、活動中の車両破損は生じませんでしたが、過去の雑誌の指標の意図と重なるようですが、被災地での走行はエンジンの最低地上高が高いオフロード車か、頑丈な車体がよろしいでしょう(極端に言えば「カブ」のようなタフさがあると良いです)。
オンロード車の場合、最低地上高が低い為に、何らかの隆起物・突起物・歩道から車道に上り下りする際などの段差等でエンジンの下部を破損して走行不能に陥る可能性が高い事を常に頭と体に叩き込んでおく必要があるかと思います。
(2003/06に都心にて、気の緩みの判断ミスで250ccのオンロード車のエンジン底部を歩道の縁石に強打させてエンジンに亀裂を入れてしまい即走行不能になった経験から追加しました)

 1月21日 朝

 大阪の支社に到着。
 みんなは途中、車の中で仮眠を取ったりしましたが、やっぱり眠いです。
 バイクと荷物を降ろして少し休んだ後、Mさんと他に1人の計2人が救援ボランティアとして働ける場を探しに神戸市に行き、残りの人達は大阪支社の仕事の手伝いをする事になりました。
 実はどこで援助活動をするのかという具体的な手続きは、この時まで全然していなかったようでした(^^;
 全く見切り発車で来てしまった救援活動志願者だった訳です。
 この時から数日間は、ろくな睡眠時間をみんながとる事ができずに、心身共にハードな日々が続く事になります。
Information Back Next GoHome