2・初めての被災地入り
体験記より
 1月21日 昼 晴れ

 大阪支社の手伝いとして、大阪国際空港から兵庫県芦屋市と神戸市東灘区までの仕事を、SRXの彼とペアで受けました。
 荷物は東京の方から個人への支援物資でした。
 箱の両側とバイクの前面に

 「 緊急  -  支援物資配送中 セルート大阪支社 」

 とワープロでデカくプリントアウトした紙を貼り、まず大阪国際空港へ向かいます。
 空港で荷物を引き取り、始めにR171経由で芦屋市に向かいます。
 大阪市支社の荷物の配送の手伝いとはいえ、初めて神戸市内に入る事になりました。ただ、1人では危険なので、2人でペアを組んでいました。
 大阪府内にいる間は震災の深い傷跡がほとんど見られませんでしたが、バイクを進ませている内に、急変してきます。

  注意!:体験記の中で「
R171」「R2」「R43」と呼んでいるのは、国道の事です
 同日 昼〜 晴れ後曇り

   それまで普通だった風景が、橋を渡っている時から急激に変わってきました。
 橋の脇には長く大きな亀裂が認められました。そして多くの多くの人々が、僕らが来た方向へ黙々と歩いていきます。
 神戸に向かう車は救援物資と書いた車が多く見受けられますが渋滞し、バイクやスクーターも数が多くなり、前に進むという共通の目的で、みんな必死の様に感じられました。
 なんなんだ・・・
 建物も、外壁が崩れ落ちていたり傾いていたり、あからさまに倒壊しているのも目に付きます。
 車道は走行には支障は無いものの、歩道や脇道は至る所で歪んでいます。
 途中、通行止めに会いました。仕方なく、めちゃ混みの脇道を使って阪急宝塚線と思われる踏切を渡ると・・・
 ちょうど線路の上のオーバーパスが、すっぽりと落ちていました。
 踏切周辺の建物は木造が多いらしく、どの建物も無惨な姿をさらしていました・・・

 人々の顔には笑顔が全く見られず、これが平和な国、日本かと思わずにはいられません。しかも市街地です。
 この時から、何が起きても不思議ではないと思えるようになりました。
 途中、スクーターに乗った、首からいくつもカメラをぶら下げているおじさんに話かけられました。
「フォーカスに関係のある方ですか?」
 どうやらその方はフォーカスのカメラマンで、どこかのバイク便かプレスが仕事を受けている様でした。
 荷届け先につくまでの周りの様子は好転せず、これでもかと言うかの様に街の破壊の様子を見続けました。
 これは効きます。ボディーブローを受けたかのようにジワジワと心に迫ってきます。
 これは人が住める町ではない・・・
 今黙々と歩いている多くの人達はこれからどうするんだろうか・・・
 思わず目から水が出てきてしまいました。
 僕たちの他にも神戸をめざすバイクやスクーター達が、前面に「救援」等と書いた紙を貼って助けになろうと向かっている多くの姿を見て、人って良いものだな、捨てたもんじゃないな、って感動しました。
 芦屋市の荷届け先に着きましたが、玄関までの階段が半壊し、鍵はかかっていませんでしたが不在でした。
 本当に、ある地点を境に雰囲気がガラリと変わりました。
 曇り気味だった事もあるのでしょうが、人々の醸し出す雰囲気が、日常生活の中で感じられるそれではなく、心のそこから「とんでもない事が起こったようだ」と感じられてきたのです。
 そして次第に見られるようになる、崩れた家屋や道路の歪み、橋桁の崩壊を目の当たりにして、事態の重大さを実感していく事になりま
す。
 同日 夕 曇り

   今度は六甲アイランドに荷物を届けに向かう為、SRXの相棒とR2を西へと走り出ました。
 空はどんよりと曇り、建物は至る所で崩れ、崩壊し、歩道には多くの人々が黙々と市外へ向かって歩き、車道では渋滞している中頻繁に緊急車両のサイレンが鳴り響く、そんな戦争でもあったかの様な異常なざわめきの中で、これからもっともっと酷い所へ行くのかと想うと、なんともやりきれなく、そして事態の重大さをずっしりと感じました。
 これからどんな光景が広がっていくのか。。。
 渋滞の中をガンガンすり抜けしていきます。信号が機能していない所がいたる所にありました。大きな交差点は警官が交通整理をしていたと思います。
 再度通行止めに会い、R2を迂回します。
 酷い・・・自動販売機が歩道の真ん中に倒れていたりもする・・・

 ・・・これはもう「有事」の事態です。交通法規を遵守していては、とてもじゃないがさっさと先に進めない!!
 気持ちの切り替えを行い、歩行者や他車に注意しながら通常時の交通法規を無視する事にしました。
 脇道を入ります・・・木造家屋が見る物全て崩れていました。原型が無くなった家、1階が潰れて2階の姿しか留めてないアパート、道路に駐車してあった車を潰す状態で崩壊した家、道に散乱する木片・・・
 そして黙々と歩いている現地の住民・・・
 歩道を走り、一方通行を逆走し、また大きな通りに出てすり抜けをして・・・そしてまた脇道に入って、という事を繰り返しました。
 夕方にやっと六甲アイランドに到着しました。しかし荷届け先の家族は茨城県に避難していて、結局マンションのフロントに預ける事になりました。
 この六甲アイランドは、建物の被害は予想に反して外見上は全くなく、無傷の様に思われました。

 しかしやはり、液状化現象の跡と思われる乾いた泥が広がっている道があったり、変形して激しい段差がたくさん生じている道路があったり、六甲ライナーの橋桁が一カ所外れていたりしていました。
 公園も、地割れの大きな所や大きな段差が確認出来る所がいくつもあったり、敷き詰めたタイルが地面が変形した為に崩れていたりと地震の物凄さを物語っています。

  島の住人で、六甲アイランドの建築物建設に関わっていたという中年の男性の方とお話しました。
 この方によれば、「島」(六甲アイランド)は天国だという事でした。電気は来ているし、スーパーも開いている。電話も通じる。それに比べて陸は地獄だと話します。
 犬の散歩をしていたおばさんともお話しました。マンションの部屋の中の物の多くが落ちてしまって凄かったとの事でした。
「陸」から自転車で、知り合いを訪ねにきた3人の親子もいました。
 市内の状況は、絶句を遥かに超えていました。「あってはならない事」とはこのような事をいうのでしょう。
 周りの様子、交通の状況、人々の醸し出す雰囲気、どれをとっても「平和な日本国内」ではありませんでした。「有事の事態」とはまさにこの事を言うのでしょう。
 この時から、感覚が変わりました。
 同日 夕〜夜

 ここから大阪市福島区の大阪支社に向かっての帰途につきました。
 六甲アイランドから陸に向かう間は、乾いた泥や激しい段差の為、オンロード車のSRX400 よりも、やはりオフロード車であるAX-1に利がありました。この時ほどAX-1でよかったと思った時はありません(^^;

 次第に日が暮れていきます。

 帰りはR43を使う事になりましたが、大渋滞でした。
 大型トラックはわんさかいるは、沢山のスクーターやバイクはいるはでごった返してなかなか進めません。
 途中でR2と同じ様に、通行止めで迂回させられます。再度脇道走行に移りました。
 日が暮れました。とても騒々しい雰囲気です。胸が高まっています。
 とんでもない所にいるんだ・・・
 至る所で崩壊した家が道を塞いでいたり、狭くしています。電線が地面に横たわったりしています。
 ある道では、狭い道の両側にある家々が揃って箱を歪めた様に変形していて、「もう住めないんだな・・・」と何とも言えない悲しみを抱きました。
 そんな中、ふと右側に気になる所を見つけ、ちょっと引き返しました。そして目の前に現れた光景は・・・
!!!!・・・
 そこには、すぐ目の前に高速道路の高架が、ジョイントが外れて落ちていた光景が不気味にライトアップされていました・・・
 SRXの相棒は、
「宙ぶらりんになったバスの写真の現場はここだよ!!」
と説明してくれます。
 既にバスは撤去された様で、眩しいライトを当てて何らかの作業が行われていました。
 もし地震が東京に来ていたら、首都高速も至る所でこんな光景を見せるのかも・・・

 線路の脇を走っている時、避難所と思われる所を見つけました。校庭をライトアップして、テントが張られていて人が避難している・・・
 まさか、本当にこれが現実なのか?!冗談でしょ?ギャグじゃないんだから・・・
 ショックでした。しかし明日からこの様な所に行って調査する事になろうとは・・・
 夜の騒々しく異様な、崩壊した神戸の街を走り続ける・・・
 住んでいる人々の事を想う時、時々感情が高まって目から水が出てしまう事もありました。
 でも現実なんです。今はそれに立ち向かう事が大切・・・

 大きな橋を越えると、そこは平穏な夜の日常でした。
 暗い公園の横で、相棒と2人で缶コーヒーを飲む。
 そこに制服姿の中学生の女の子が黙々と歩いて通り過ぎる・・・
 これが大阪の今。川を越えただけで、こんなに違うのか。。。

 この後、約30分程で無事に会社に到着しました。
 同じ日本国内なのに、まるで外国の紛争地帯から戻ってきたような錯覚にさえなりそうでした。
 大阪は、平和な日常を営んでいるのに、ちょっと離れた神戸では、生きるための必至の生活が営まれていました。このギャップは、なんとも言えないものです。
      
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