1月22日 夕方〜 曇のち晴れ

 日赤の集合場所には、集合時間になっても帰着したライダーが2・3人しかいなく、全員が集合したのは2〜30分後の事でした。
 Kさんも交えてのミーティングで報告された事は、次の様な内容でした。
  • 西区では行っても避難していない避難所があった
  • 千人を超える避難所があった
  • 必要のない物資が山となっていた所があった
  • 食べようとした「おにぎり」が既に腐っていた避難所があった
  • 石鹸を食べようとするお婆さんがいた
・・・etc
 須磨区よりも西側は被害が少ない様でしたが、それ以外の区では、どこの避難所も必死に生きているという事が分かりました。
 被災者の方々は極限の状態で生きている・・・
 胸の中に鉛が入った様な重い事実です。

 そして話を聞き終わったKさんは、過去に自分がしてきた事を話してくれました。
 アフガニスタンで活動していた時で、救援している地域が危険な状態になると、援助が出来なくなって人々が困った時の事。自分達の誰かが死傷すれば撤退せざるを得ない為に、手出しが出来なかったとの事でした。
 また、国際的に緊急物資を送る時には、必要最低限の様々な物資を段ボールの様なパックに詰めて作成し、それをいくつも送るのが常識だが、日本はそれが出来ていないという話。

 Kさんは、日本政府はODAで諸外国に援助している事に少なからず誇りの思っていたが、今回の震災の対応で、世界に対してこれからは大きな顔が出来なくなるだろうとも言っていました。
 安否係依頼の避難所名簿は、結構な確率で集める事が出来ましたが、やはり中には身元をはっきりさせないと譲れないという所があったり、相手に安心してもらう為に、明日までには証明書類を作成してもらう事になりました。
 これで今日一日の活動が終了し、全員で固まって大阪まで帰る事になりました。
 しかしR2やR43は大渋滞。他にも多くのスクーターやバイクが走っていますので、グループで離れない様に走るのはなかなか気を使います。
 その為、否が応でも走りが荒くなります。抜け道を通ったり、時には歩道を走ったりしました。
 夜も余り遅くならないうちに大阪支社に帰着する事ができました。

すぐ近くの風呂屋に入った少し後に、第2陣の3名が5台のバイクを2tトラックに積んで東京から到着しました。中には江戸川営業所所長までがいる・・・。
 これからは、この3名を含めて12名で30日までローテーションを組んで神戸での活動を行います。
 この夕方のミーティングで、区により被害の差がある事、救援物資が善意とはいえ、無造作に送り込まれて無駄になっているケースや、活かせないケースも多く報告されて、救援物資にまつわる混乱ぶりを実感させられました。
 この時のKさんの話は、国際的な救援活動のやり方を知るとても貴重なものでした。