第1章 とても心の不安定な在り方 〜境界例と境界パーソナリティ障害〜



 米国では、米国精神医学会が作成している精神疾患の診断と統計のマニュアルとして、「DSM」というものがあります。現在では「DSM-III(1980)」からの流れをくむ「DSM-IV-TR(2000)」が作成・使用されており、WHOの診断基準「ICD-9,ICD-10」と共に日本でも深く浸透しています。
 その診断項目のひとつ「パーソナリティ障害(Personality Disorder)」に、アイデンティティー感覚のあやふやさ、感情が激しく不安定な状態の人達に対して診断される「境界性パーソナリティ障害(BPD)」があります。
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診断名の訳名は変遷しており(日本精神神経学会が従来の「精神分裂病」と訳していたものを「統合失調症」に変更(2002年8月))、「DSM-IV-TR」の邦訳版も「DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引き 新訂版(2003年...MINI-Dと呼ばれる)」として新訂され、従来の訳語が変更されました。ここでは邦訳のDSM-IV-TR新訂版の方針や、精神分析医の故・小此木啓吾さんの諸著作上の呼び名に習って「人格」を原本の「パーソナリティ(Personality)」に統一します。
(WHOの国際診断基準「ICD-10」上の該当診断名については、ここでは省略します)
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境界性パーソナリティ障害( Borderline Personality Disorder )

  対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。
  以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。

(1)現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力
注:基準5で取り上げられる自殺行為または自傷行為は含めないこと
(2)理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式
(3)同一性障害:著明で持続的な不安定な自己像、または自己感
(4)自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質乱用、無謀な運転、むちゃ食い)
注:基準5で取り上げられる自殺行為または自傷行為は含めないこと
(5)自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し
(6)顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2〜3時間持続し、2〜3日以上持続することはまれな、エピソード的に起こる強い不快気分、いらだたしさ、または不安)
(7)慢性的な虚無感
(8)不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合い喧嘩を繰り返す)
(9)一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状

引用文献:『DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引 新訂版』 医学書院
注意:これは邦訳からの引用ですので、厳密に知るには原本を読まなくてはなりません。
また、親本と呼ばれる『DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』も読まなくてはなりません。


  参考として、当サイトで挙げていた以前の参考・引用項目も同時に記します。
  

 次の項目の5つ以上に該当すれば、この障害と診断される

1・人に見捨てられる不安がきわめて強い
2・対人関係が理想化と過小評価に揺れて安定しない
3・アイデンティティが混乱していて、一貫した自分のイメージが保てない
4・衝動性が高く、衝動買い・セックス・薬物乱用・過食発作といった衝動性がみら
  れる
5・自殺行為や自殺を思わせる傾向が再三みられる
6・感情がきわめて不安定である(特に抑うつ感と不安が激しい)
7・慢性的な虚無感に悩まされる
8・不適切なほど強い怒りを持ち、それをコントロール出来ない
9・一過性のストレスに関係した妄想観念が生じたり、あるいは強い解離性障害が
  らみれる

参考・引用文献:『imago 特集:境界例』 1990年10月号 Vol.1-10 青土社
      『AERA Mook15 精神医学がわかる』 朝日新聞社



 この項目を、もう少し具体的に言い換えて説明してみます。

●いつも人から見捨てられる気がして安心できないので、人にしがみつく。または自分
 から突き放してしまう


 〜人との関係に安心感を感じて安堵する事ができない為に、絶えずいずれ突き放され
と感じて危機感を抱く。その為に絶えず相手にしがみつく。又は、突き放される前に
自分から突き放す
●人への評価が、初めはとても尊敬していても、後に欠点が見えると手のひらを返した
 ように軽蔑する


 〜例えば、異性と出会ってとても情熱的に惚れ込み、こんな素晴らしい相手はいない
と感じて同棲するが、次第に相手と自分の違う部分に出会ってトラブルが起きてくる。
そして次第に欠点が目について、幻滅や過小評価から相手への怒りや不安を呼び起こす
●孤独感や不安や葛藤を紛らわす為に、一時的な快楽や満足を求めて、絶えず何らかの
 直接的・短絡的な衝動の満足をしていないと落ちつかない


 〜主観的で一時的な快楽・満足状態を味わう事で、心の不安や葛藤を処理する心のメ
カニズムによるもので、セックスにのめり込む・薬物乱用・激しい音楽への没入・無謀
な運転や、過食など、その姿は自己破壊的に見える
●落ちついているかと思えば、今度は落ち込んでいたり、不安がっていたり、いらいら
 していたりといった感情の急な変化が起こり、かんしゃく、自傷行為、喧嘩などを起
 こす


 〜正常な気分から抑うつ・いらいら・不安への著しい変動。感情や気分の変動が多く
特に抑うつ感と不安が激しい。絶えず抑うつ的になり、焦燥感が起こって不適切な怒り
や自分へのかんしゃく、喧嘩や自傷行為を含めた自己破壊的な行動をくり返す。
(抑うつ的という点では、うつ病との合併が極めて高いと言う精神科医もいます)
●周りが驚くほどの激しい怒りを見せ、喧嘩をくり返したりする
●自殺の脅しやそぶり、自傷行為を繰り返す
●職業選択や自分の価値観などが漠然としか感じられなくて、自分は何者なのかという
 アイデンティティーの感覚が掴めずに、虚無感をいつも感じている


 〜一貫した安定した自己像、男性・女性としての自分、何らかの社会的な価値観や職
業・役割・集団への安定した帰属・同一化がうまくできないために、社会や家族としっ
かり結びついた安定感と生き甲斐を見出すことができない。
 絶えず慢性の空虚感・離人感・退屈感を感じている。

参考・引用文献:『imago 特集:境界例』 1990年10月号 Vol.1-10 青土社



 この境界性パーソナリティー障害(BPD)の治療についてですが、この障害の患者と治療者との関係はどうしても深くならざるを得なくなり、また患者が治療者にケアされる事を時には圧倒的に求める為に、治療者の患者に対しての強い葛藤を引き起こすので、なかなか難しいと言われています。

 どうして境界性パーソナリティー障害になるのか?ですが、米国では、患者の多くが子ども時代に性的・身体的な虐待を受けていると報告されています。女性の患者が多いという報告では、性的虐待との関連が指摘されています。
 しかし一概に虐待だけが原因ではなく、きわめて多くの要因が関わっていると言われていて、遺伝的・身体的な要因も否定できないと言われます。

 更に境界性パーソナリティー障害を『包括』する、感情の不安定な状態の幅をもっと広く捉える境界例(Borderline=ボーダーライン)という疾患概念があり、境界性パーソナリティー障害という診断名は元々この疾患概念の治療・研究成果から生み出されたものです。
 繰り返すようですが、気をつけてほしいのは、最近多くの方やWebサイトが言われている様な「境界例」「境界性パーソナリティ障害」は同じという主張には間違いがあり、専門的には同一でありません(ある精神科医らまでもが混同して発言していますが、それだけ現在でも専門家間の統一化が難しい概念です)。
境界例概念図

 「境界性パーソナリティ障害」は、「境界例概念」の中で顕著な特徴を表す症例群と捉えるのが良いのかもしれません。
 (これについては、小此木啓吾さんの境界例概念の世代間分類が理解しやすく、3世代に分けています。
  第1世代を神経症から精神病への移行の中間状態と見た世代(1930〜60)、
  第2世代を神経症と精神病の間に留まっている病態と見る世代=主要な境界例概念世代(1960〜80)、
  そして第3世代が、DSM世代と呼ばれるDSM-III以降の診断名としての「人格障害(パーソナリティ障害)」として見る世代(1980〜)です)。
 なお、感情の動きが極端に不安定という特徴がひとつの診断名として分類されたと思われ、専門家の間では「不安定パーソナリティ障害」と名付けた方が適切ではないか?という議論もありました。

境界例とは心が不安定でアイデンティティー感覚が薄い人々の状態を包括する心の不安定な状態の幅がとても広い疾患概念なのですが、この疾患の発生原因が、肉体的な病気のようにははっきりとしない事が多いために、これは症候群(シンドローム)ではないか?と考える方々もいます。

 ただ、基本的には幼児期からの養育者との関係に何らかの歪みがあったとされていて、「ボーダーラインの子はボーダーラインの親が作る」と言うJ・F・マスターソンという専門家もいます。

 そのため、治療には長い年数と本人の成長が必要と言われています。

 私は、乳・幼児期から始まる養育者との関係の歪みを、肉体的から精神的まで、攻撃的な状態から独善的に溺愛する状態までのとても幅の広い視点から見る”幼児・児童虐待”とみなして、そのような状態が心に「深く激しい心の傷つき(心的外傷=トラウマ)」を生み出しているのではないか?と考えています。


『ボーダーラインの心の病理』 町沢静夫/著  創元社
ISBN4-422111396
『成熟できない若者たち』 町沢静夫/著  講談社
ISBN4-06-204858-2
『性格は変えられる』 町沢静夫/著  KKベストセラーズ
ISBN4-584-15845-2
『現代のエスプリ別冊 人格障害』 編集/成田善弘  至文堂 ISBN4-7843-6001-8
『こころの科学36 特別企画=境界例』
              河合隼雄・成田善弘/編  日本評論社
ISBN4535560757
『境界パーソナリティ障害 その臨床病理と治療』
  J・G・ガンダーソン/著 松本雅彦・他/訳  岩崎学術出版社
ISBN4753388085
『退却神経症』 笠原嘉/著 講談社現代新書  講談社
ISBN4-06-148901-1
『自己愛と境界例』
  J・F・マスターソン/著 富田幸佑・尾崎新/著  星和書店
ISBN4-7911-0202-9
 〜この本の概要は、「裕's Object Relational WorldMasterson, James F. バッド・マザー理論」
  で知る事ができます〜
『青年期境界例の精神療法』
    J・F・マスターソン/著 作田勉・他/訳  星和書店
ISBN4-7911-0072-7
『青年期境界例』 成田善弘/著  金剛出版
ISBN4-7724-0306-X
『自己愛人間 現代ナルシシズム論』 小此木啓吾/著  朝日出版社
ISBN4061833634
『AERA Mook15 精神医学がわかる』  朝日新聞社
ISBN4-02-274093-0
『境界例とその周辺』 悳智彦・衣笠隆幸・伊藤洸/著  金剛出版
ISBN4-7724-0501-1
『DSM-IV 精神疾患の分類と診断の手引』 
          訳/高橋三郎・大野裕・染矢俊幸  医学書院
(Quick Reference to the DIAGNOSTIC CRITERIA FROM DSM-VI
               AMERICAN PSYCHIATRIC ASSOCIATION)
ISBN4-260-11793-9
『DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引 新訂版』 
          訳/高橋三郎・大野裕・染矢俊幸  医学書院
(Quick Reference to the DIAGNOSTIC CRITERIA FROM DSM-VI-TR
               AMERICAN PSYCHIATRIC ASSOCIATION)
ISBN4-260-11886-2
『図説 臨床精神分析学』 前田重治/著 誠信書房 ISBN4-414-40144-5
『精神療法 特集:DSMの今日的意義』 Vol.27No.5 金剛出版
(備考:DSM-IVとICD-10、2000年発刊の新基準「DSM-IV-TR」の紹介について6名が解説している)
ISBN4-7724-0715-4
*「境界性パーソナリティ障害(BPD)」と「境界例」については、以下の3冊の文献を参考にして頂けると、
 より包括的で専門的理解が得られますので、深く興味を持たれた方にご一読をお勧め致します
『imago 特集:境界例』1990年10月号 Vol.1-10  青土社 絶版
『精神医学レビューNo.20 境界パーソナリティ障害(BPD)』
       小此木啓吾・大野裕/編  ライフ・サイエンス 
ISBN4-89801-129-2
『正常と異常のはざま』 森省二/著 講談社現代新書   講談社  ISBN4-06-148945-3
*この章で伝えたい「パーソナリティの歪み」についてを、この著書が一般にも理解しやすく分かりやすく、
 しかも包括的に詳しく述べていますので、興味を持たれましたら、是非ご一読をお勧め致します。
あなたの身近な「困った人たち」の精神分析』 小此木啓吾/著 大和書房 ISBN4-479-79003-9

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