芸風社写真館
人間と人間のいる風景

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昭和46年上野広小路・本牧亭(旧)
楽屋にて
「桂 小勇の会」時代の
柳家小満ん師匠


柳家小満んの会のお知らせ


小満んの会
お江戸日本橋亭

横浜の会
関内ホール

寄席のパンフ/鈴本演芸場1964
八代目 桂文楽 師匠
(国立劇場)

野崎がはじまり、手のひらに書いた人の字を飲み込んで、いよいよ“出”というところ。
手前に座布団と茶碗があって、一文字に結んだ口と一点を見つめる目。
我ながら良い瞬間が捉えられたと思う一枚。

八代目 桂文楽 師匠
(国立劇場)

文楽師匠といえばはなし家のトレードマークでもある“てぬぐい”を使わずに“ハンカチ”を使用していたのはファンなら当たり前の逸話。(知らなかった人は小満ん師匠の著書「わが師 桂文楽」を至急読むべし)

TV番組「知ってるつもり・桂文楽」では、そんなことも知らないで放送していました。

林家彦六(当時 林家正蔵)師匠
(国立劇場)

正蔵師匠は本牧亭が古い建物の頃、正蔵会がファンにとってはお馴染みで、毎年年末に牛丼を客席に振舞うのが吉例でした。
新内 岡本文弥 師匠
(岩波ホール)

岩波ホールが現在のように映画専門のホールではなく“貸しホール”であった頃。
岡本文弥師匠

小沢昭一氏

岩波ホール
左から

小沢昭一氏
桂米朝師匠
永六輔氏

岩波ホール
左から

入船亭扇橋師匠
柳家小さん師匠
桂文楽師匠

扇橋師匠真打披露
五代目 古今亭志ん生 師匠

朝日新聞の取材で西日暮里のお宅で
1973年1月9日夕刊
(掲載は別の写真)
五代目 古今亭志ん生 師匠

「百まで生きたら、けつまくるよ」
五代目 古今亭志ん生 師匠


志ん生師匠が唄った
大津絵
「江戸の四季」

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岐阜・柳ヶ瀬 (昭和46年頃)
ラーメン屋のお店の脇で店員の女の子がラーメンを食べていた。

私の旅の風景写真
旅好きで、よく旅をしました。芸風社時代はカメラや地方の本屋さんに委託して売ってもらう本など、重い荷物があるのでたいがいはクルマで、たいがいはマイカーのホンダN360ツーリングで行きました。北の青森から南の九州熊本まで走り回りました。高速道路の整備されていない時代のことですが、楽しく思い出されます。

「ふれあい出会い旅」などと言うTV番組がありますが、私の場合は慣れるとけっこうおしゃべりをするくせに、最初はなかなか打ち解けない性格でとてもシャイな人間ですから、写真の中の人物がレンズを通してこちらを見ているものは、「旅の写真」ではなく「知人友人の写真」です。
よく、人懐っこい性格の人で、誰とでも初対面でなれなれしくお話をする方が有りますが、そういう方はふれあった人間も景色が流れる様に風景になってしまうのでしょうか。

写真は流れて行く時間の一コマを定着して、しまっておくものといえますので、旅の風景写真とはとおり過ぎて行く風景の写真ともいえるでしょう。

よその人を写真に撮る時にはマナーにご注意!
事前に声をかけずに撮る方が自然な雰囲気で撮れるといっても、あまり失礼にならぬようご注意。
眼が合ってしまったときに笑顔で会釈をして許される範囲がマナーでしょう。

日付写真のススメ
旅の途中で(遠方であってもなくても)友人に会う、そのときは旅の記念にぜひ記念写真を撮りましょう。そしてなるべく日付の入るカメラで撮りましょう。
写真も5年も経つと、お正月や成人式といった記念日はともかく、いつ撮った写真かわからなくなるものです。しかし人間や周りの風景の変化は確実にあって、そこに日付が加われば如実に実感できるものです。
ただし、ウソもつけますのでアリバイにはなりません。為念。



岐阜・柳ヶ瀬
壁には「ストレス解消、うなぎつり」と書いて貼ってある。

岐阜・柳ヶ瀬
アーケード商店街発祥の地

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